2013年1月3日(木)
 
東銀座で映画を見た後、1階の本屋で談志関連の本を数冊買って
歩いて、銀座を抜けて数寄屋橋、有楽町から山手線に乗って上野まで行って
不忍池の脇を抜けて根津の師匠の住んでいたマンションまで…
 
昔、不忍通りを友人と歩いていたら、信号待ちしているバスの中からこちらに向かって手を振っている人がいる!
良く見たら家元・談志 普通はファンが手を振るのに子供のような笑顔で手を振っていた師匠を思い出す
 
家元は「練馬の師匠」であって「根津の師匠」では無いです。カミサンの病気の為にここのマンションに住むように
なったと言っていた…それがカミサンが治って自分が死んじゃった。kじょのマンションの裏に大きな病院がある
これが家元が住んでいたマンション
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何度も通ったこのマンション、一階が煎餅屋さん
一緒に根津神社へお参りに行って、「飯でも食って行きな!」と手料理でゴチしてくれた
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これがマンションと根津神社の間にある日本民家、この細い道を
「雨の夜、志乃に送って貰ったんだ!相合傘で色っぽかった」と言っていた中尾彬の家もこの近所なのかな?
 
そして、これが「根津神社」
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正月とツツジの季節には人が一杯
 
「他人に拾われてしまうからギンナンが落ちる頃は朝早く来るんだ」何て言っていた
そのギンナンが境内に落ちていた、家元が生きていたら…きっと拾っていただろう
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正月の参拝者の長い列 「家元、銀杏が落ちてますよ~」