2011年11月24日(木)
昨日の3時に友人から「談志が死んだ」と知らされ「やっぱり」と一言で電話を切った
口の悪い弟子から、「今年一杯は無理かも!」と聞かされていた
でも私の中の「立川談志」は15年前にもう終わっていた
家元の「落語芸」は60才までだった
自分でも分かっていたと思う、声が出ない噺家はダメ。かすれた声は聞き難い
全く「おんな」が出来ていなかった。
私の知っている談志師匠は35才から60才まで、この間は東京・横浜の殆どの会に足を運んだ
練馬の自宅にも何度も遊びに行ったし、一緒に銭湯へ行って背中を流した事もあったし
師匠の料理でご馳走になった時もあった。
一般人の私に文師匠から習った「寝床」を稽古をつけてくれた。
談志師匠は「根津の師匠」と言われているが、私は練馬の師匠の家の方が好きだった
根津の家の想い出は、一緒に根津神社に散歩に行った時の思い出かな?
志ん朝師匠の時は涙が出たが、今回は「アァぁ」で終わり
志ん朝師匠は、最後の最後まで体力は落ちても「芸」は落ちていなかった。
楽しみにしていた県民ホール寄席の死んだ10月の「幻のチケット」を私は持っていた
それにしても、圓楽の時は、それなりの「扱い」だった読売新聞が今回の「談志の死」に
ページを多く使ってくれた、やっぱり「元・政治家」は強いのかな!
保田さんの記事も良かった~
「お別れ会」でもデキシーかな? ”That's a Plenty”
色々談志さんのパーティも行ったな~
北原謙二!良かったな~ あちらでまた二人で「ふるさとの話をしよう」を歌っているのかな?♪