
「深尾学」てぇ人
5・6年前、私が作った「東横落語会資料集」がある情報誌に紹介
されてから、数日後「名古屋の深尾です」と電話が入ったのが、こ
の方と初めての会話であった。「昔は東横落語会によく足を運ん
だものです」とか話していたことが私の記憶に残っている、「貴殿
が作った資料を是非分けて欲しい」との事、2000円か3000円
で譲る事にしたのだが、一週間後に5000円入った封筒が届き、
慌てて自宅に電話をしたのだが、オカミサンが電話に出て「留守
なんです、週末以外は帰ってきません」との事「では会社の電話
番号を教えてください」とお願いしたのですがオカミサンは教えて
くれませんでした。「ではお金を余分に頂いたのでお帰りになりま
したらXXのXXXXですが電話をしてください」お願いをした
その時、この人出稼ぎ労働者かな?何てぇ思っていました
そして週末に名古屋から電話が入り長話、途中で「電話代がモッタ
イナイから、僕の方からかけ直します」何てぇ言ってしまいました。
その電話の中で「君は談志君のファンなのか!」とか「今度談志
君に逢ったら話しておいてあげる」そして「TBSの川戸君に仕事
をお願いしようかと思っている」談志君・川戸君テナ言葉が出てく
る、「変な出稼ぎ労働者」と思っていた。
そして時々電話があり、私も「名古屋で昔、桂文樂が「芝浜」を演
ったと、書物で読んだ事が有るので誰か音を持ったいませんか?
あったら是非聞きたいです」をお願いをした。
毎年、年賀状と暑中見舞の葉書が来る律義な人で、電話でも年下
の私にもトテモ丁重な言葉使いでしたが、いつでも談志クンだった。
そして、本年10月のある日、いつものように新聞のテレビ・ラジオ
欄に談志の二文字が無いか探して、フト目に入ったのが、”深尾学”
という名前、それも”名古屋”住所も私が資料や年賀状を送った所
あの人が死んだ
東海ラジオ代表取締役会長・東海テレビ代表取締役 深尾学
気がつかなかった、一度も放送局にいる事を言わなかった
会長なら当然談志君・川戸君
「なごやか寄席」に家元は何回か出ている「源兵衛太助寄席の旅」
は川戸さんが司会でもう何年も放送している
東京のラジオ局では落語番組が無くなって行く時代に、名古屋でこ
の二番組が続いているのは、”深尾会長”が落語ファンだったから
なのだ気がつくのが遅すぎた。
でも、もっと早く会長てぇ知っていたって、私には何も出来ないし、
何もしてあげられなかったと思う、
「電話代がモッタイナイからこちらからかけ直す」と言ってしまった
事が恥ずかしい。
PS.先日LFの「オールナイト・ニッポン松山千春」で千春は岐阜の
リスナーに「岐阜に行っても決して泊らない、何故なら岐阜に泊る
なら名古屋に出て、深尾さんの所に行って、一緒に食事をするよ
楽しいもの、でもあの会長も死んじゃったから、淋しいな」千春と
も仲が良かった方を出稼ぎ労働者と思っていた私…