
1997/02/12
「こんな談志ファンがいた事を忘れない為に」…後日談
これは、1994年10月亡くなった、東原亮子さんを思って、あるサークル誌に書いた文章です。
50人位の人が読むサークル誌では、私は満足出来ないのです。
一人でも多くの人に、こんな談志ファンがいた事を知って貰いたいのです。
また、彼女と接点があった人に、いつまでも彼女の存在を覚えていて欲しいのです。
亡くなった後、渋谷で「彼女を偲ぶ会」を私が開きました、20人位の友人が集まりました。
立川企画の方、立川志らくも参加してくれました、私の自己満足かも知れませんが、
きっと彼女も喜んでくれたと思います。両親にも後日、報告しまし、一人で彼女のお墓も行って来ました。
数ヶ月後、「うの木寄席」でバッタリ彼女の御主人にお会いしましたが、私は言葉に詰まり、
何を話して良いのか、見つかりませんでした、ただ私は下を向いて涙を堪えてました。
あれから毎年春、桜が咲く頃、富士山が大きく見える桜が奇麗な彼女のお墓に行っています、
また4月になったら、私の家族で御殿場までドライブがてらにお墓参りに行ってきます