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写真は2006年7月1日 日本武道館前
40年前のこの日にここに居たとワザワザ写真を撮りに来た 

ビートルズと志ん生と談志

この三人を見られた時代に生まれて本当に良かった

志ん生を見たのは1961年か1962年の、とっても寒い冬の夜だ

った。小学校から一緒の友人が林家三平のファンで新宿末広に付

いて行った。その時は全く興味が無かった、半纏を着た係の人が

席まで来て「坊や達、志ん生の芸判るかい?面白いだろう」と言わ

れて、今の叔父さんが志ん生てぇ云うんだ、それだけの記憶だった


ビートルズを見に武道館に行ったのは 1966年7月1日、私の高校で

は「行ってはいけない」とは言わなかった(山藤章二氏の後輩です)

他の高校では武道館に行っただけで退学の高校が多かった

(一番上の兄が読売新聞に勤務していた為、日本テレビ系列主催

だった為、簡単に手に入ってしまった)(ニュークリステー・ミンス

トレルというフォーク・グループの「呼び屋」がこのコンサートを見

た人に優先的にビートルズのチケットを販売した)(一緒に行った

友人がランオン歯磨のコネで手に入れた)

3人で行くのにチケットが9枚も手に入ってしまい新宿の京王百貨店

のビートルズ展の会場で売れるだろうと思い行ったが誰も信じて貰

えなかった。結局6枚のチケットは払い戻した


談志を最初に知ったのは1963年の小ゑんから談志なって私の住

んでいた隣り町(奥沢神社)で真打昇進興行をやっている時だった

それから兄が買ってきた「立川談志の現代落語論」を読み1967年

秋テレビで見た「目黒のさんま」強烈な印象に残っている

それから新聞を開く度に「談志」の文字を探し続けた

談志が司会のLFの「演芸大行進」で彼が志ん生の魅力を話すので、

この人が薦める噺家ならと思い聞き始め、志ん生にゾッコン惚れてしまった



ビートルズと古今亭志ん生は一回だけ

ビートルズは生で見てガッカリし、志ん生は殆ど記憶に残っていない

しかし、談志は何百回と見て来た

いつも新鮮で物の捕らえ方、考え方、本当に頭の良い人である

でも最近、家元が立川談志を演じている様な気がしてならない


ビートルズは今だに好きである、でも初期の作品である、「ラバーソ

ウル」私の青春の一枚である、殆どのアウトテイクも手に入れた

「アンソロジー」なんか出しやがって、私のビートルズ・コレクションが台無しだ


古今亭志ん生のコレクションと言ったって、MD&CDとカセットテープで持って

いるだけ、色紙や手拭いがある訳でも無し500位ある音源だけである

市販されているのが450位だからアウトテイクが50席程持っている。

誰にも負けない程持っている、ある落語評論家のリストを見たら、私の方が

多かった!!!


立川談志の色紙は数知れない、手拭いも色々、中でも「ひとり会」

で使用した「芝浜」の財布が二本ある、本は全部ある(全部サイン

入り私の名前が入っているので売れない)

カセットテープはS40年代・S50年代・S60年代・そして平成

殆どのテレビ・ラジオ(地方局も含む)の放送がある。政見放送・

野球中継の解説・免田事件の発端のビデオ、数々

本人から談志の落語のダビングを頼まれる!変ですよねぇ

その中でも私の宝は、私が仕事中怪我をした時に家元から貰った

お見舞いの手紙である(今でもこれを読むと涙が出る)

「他人に見せるな!」と人づてにいわれたが、その方も亡くなった(松浦氏)

本当に、この時代に生きられて、良かった、2年ずれていたら、ビートルズ・

志ん生どちらか見られなかったと思う。その時代その時代に素晴らしい芸人

が居たとは思う、4代目柳家小さん・フレット・アステア・08桂文樂・ジー

ン・ケリー・06三遊亭圓生などなど…

でも、05立川談志を追いかけた数十年は楽しかった。




私が娘に自慢できること!

  ビートルズと志ん生をこの目で見た事と

  ボブ・ディランと圓生をこの目で見た事と

  サイモン&ガーファンクルと金馬をこの目で見た事と

そして立川談志と銭湯に行って、帰ってビールを飲んで、家元の手料理をゴチ


1998.1.1の日記より