サラダ ルールズ
夏です。
野菜がうまい。
伊丹十三の本を読んでいたら、
サラダにまつわる話が出てきたので嬉しくなった。
新潮文庫p.155~

伊丹監督の足下にも及ばないのだけど、
私には私のサラダルールがある。
1 水がよく切れていること
2 食べやすい大きさにちぎって(切って)あること
3 面白いこと
4 できれば旬のもの
1(と4)は、水びたしでなく、でも野菜の瑞々しさが
一番のゴチソウだー、という理由で、
2はなんとなく、(!)
3はやや蛇足だけど、
色の組み合わせがきれいだとか、歯にあたる感触がさまざまだとか
(ぱりぱり、むしゃむしゃ、カリカリ・・)、においがするぞ!
とかね。
まあこれは、贅沢言っていて
なければないでいいんだ。
冷やしただけのトマトとか、ほうれん草茹でただけでもさ。
4も贅沢と言えば贅沢だけど、
かたくて白いキャベツとかトマトとか悲しくなるでしょう。
365日なんでも手に入るようになったけども
味が濃い野菜のほうが食べたかんじするよねって。
ここから話を大げさにすると、(わざとだ!!)
調理してあれこれ化学変化させて美味しく食べることが人間っぽいとすると、
素材を生(またはそれに近い)で食べることは、
より動物に近い。
調理はどこか自分の力でコントロールしてる感じがする。
(やだって言ってるんじゃないよ。料理は好き。)
それに対して、
そのときそのとき自然にあるものを食べるのは
自分の力じゃなんともならないぶん、
美味しいことそのものがありがたいなあ、というかなんというか
なんともそんな気分になる。
(伝わるかなー??)
キアロスタミというイランの映画監督が
「桜桃の味」という映画を撮っていて、
自殺願望のある男が、その手伝いをしてくれる人物を
延々と探す筋書きなのだけど、
そのなかで
人は毎年毎年実をつける
サクランボを食べるために生きているんだよ
という話が出てくる。
そんな素敵なものを楽しめるのだから、
どんな悩みも
大したことはないよ
という話。
思い悩んだり苦しんだりすることは、
自分の力じゃどうにもならないからこその葛藤からくるものだけども、
自分自身とは全く別次元で、
ふとご褒美みたいにもらえるものの典型が、
サラダだとか、果物だとかな気がします。
うまくいえないけどさ。

アッバス・キアロスタミ 「taste of cherry」
野菜がうまい。
伊丹十三の本を読んでいたら、
サラダにまつわる話が出てきたので嬉しくなった。
新潮文庫p.155~

伊丹監督の足下にも及ばないのだけど、
私には私のサラダルールがある。
1 水がよく切れていること
2 食べやすい大きさにちぎって(切って)あること
3 面白いこと
4 できれば旬のもの
1(と4)は、水びたしでなく、でも野菜の瑞々しさが
一番のゴチソウだー、という理由で、
2はなんとなく、(!)
3はやや蛇足だけど、
色の組み合わせがきれいだとか、歯にあたる感触がさまざまだとか
(ぱりぱり、むしゃむしゃ、カリカリ・・)、においがするぞ!
とかね。
まあこれは、贅沢言っていて
なければないでいいんだ。
冷やしただけのトマトとか、ほうれん草茹でただけでもさ。
4も贅沢と言えば贅沢だけど、
かたくて白いキャベツとかトマトとか悲しくなるでしょう。
365日なんでも手に入るようになったけども
味が濃い野菜のほうが食べたかんじするよねって。
ここから話を大げさにすると、(わざとだ!!)
調理してあれこれ化学変化させて美味しく食べることが人間っぽいとすると、
素材を生(またはそれに近い)で食べることは、
より動物に近い。
調理はどこか自分の力でコントロールしてる感じがする。
(やだって言ってるんじゃないよ。料理は好き。)
それに対して、
そのときそのとき自然にあるものを食べるのは
自分の力じゃなんともならないぶん、
美味しいことそのものがありがたいなあ、というかなんというか
なんともそんな気分になる。
(伝わるかなー??)
キアロスタミというイランの映画監督が
「桜桃の味」という映画を撮っていて、
自殺願望のある男が、その手伝いをしてくれる人物を
延々と探す筋書きなのだけど、
そのなかで
人は毎年毎年実をつける
サクランボを食べるために生きているんだよ
という話が出てくる。
そんな素敵なものを楽しめるのだから、
どんな悩みも
大したことはないよ
という話。
思い悩んだり苦しんだりすることは、
自分の力じゃどうにもならないからこその葛藤からくるものだけども、
自分自身とは全く別次元で、
ふとご褒美みたいにもらえるものの典型が、
サラダだとか、果物だとかな気がします。
うまくいえないけどさ。

アッバス・キアロスタミ 「taste of cherry」