先月3月17日...
父が他界いたしました。
82歳の誕生日直前の生涯にピリオド...
本当に急な出来事でした。

16日の夕食は相撲をみながら母と兄と3人で普通に食事をしていて...
夜中に2度ほどトイレに行き、朝方5時過ぎに布団を跳ね退かして寝ていたので...
母が布団をかけてあげたら「ありがとう」って母に言ったって...

そして朝食の時間...
いつもなら起きてくるのにグーグー寝ていて...
「お父さん、起きてこない...」と私にメールをよこしたので...
「すぐにお医者さんに電話して来てもらって!」って伝えた...。

先生が往診に来られたら「頭が心配...市民病院へ救急車で運びましょう」と言われ病院へ搬送。
検査の結果、かなり大量の血が頭の中に貯まっているとの事...
脳幹出血でした。

病院に付き添った母に延命治療をするかしないか聞かれたらしく...
「そのままでお願いします」
そうお願いしたと母から連絡があったので、社長にその旨報告し会社を早退。
一旦家に帰り...
落ち着いて荷物をまとめ新幹線に乗り富山に向かいました。

病院に着いたのが18:40頃...
「お父さん、来たよ...わかる?」そう声を掛けてあげたら血圧が少し上がってきたものの...
21:41...父は家族に見守られながら仏様になりました...

でも...これで良かったんです...
父の介護で疲れ果てていた母の事の方が正直心配で...
母も肝細胞癌を患っており、定期的に検査を行い初期段階で治療を行っている状態です。

母の場合、血液感染でC型肝炎を起こし肝硬変から肝細胞癌に...
定期的に検査に行く事で軽い症状での処置を行えば大丈夫。

母が入院する時は、父はショートスティ施設に預けられるのですが...
毎回、母の事を気にかけ泣いている始末...。
「お母さん、大丈夫か?」と泣きながら私に訴えかけるので...
母に電話をして、会話をさせてあげるのが私の役目...
母に「頑張られ!」と言われ...「はい!」と答える父でした。

我が侭な父は母がいなくちゃダメで...
それなのに、母に苦労を掛けっぱなしでした。
でも、母は「私が選んだ人だから...お前達にも迷惑かけたけどしょうがない...」って...
そんな母に十分甘えるだけ甘えて、我が侭言って母を困らせながらもお世話をしてもらい...
最後は眠るように逝き...
本当に最後の最後まで幸せな父だったと思います。

母に言った最後の言葉が「ありがとう」
母は「最後の言葉がありがとうで良かった」と静かに涙を流していました...

初七日を終え、私は東京に戻り暫く時が流れた3月27日の朝...
今度は母が大量の吐血をして救急車で運ばれましたが、命に別状はなく今日退院との知らせあり。
吐血の原因は、潰瘍によるものでした。
ただでさえ、父の世話でストレスを抱えてヘトヘトになっていたのに...
追い打ちを掛けて、葬儀や家族の揉め事で多大なるストレスが掛かったのでしょう。

私が今、母にしてあげられることは...
心配を掛けずに、ここで暮らす事。
そして、やっと自由になった母です...
いつでも好きなときに東京へ遊びに来てもらえる環境を整えてあげる事。
「私は大丈夫。仕事もうまくいっているし安心して!」
そう言える自分を維持する事!

お陰様で、絶大なる信頼と実績を挙げることができ...
3度目の招待旅行グアムから昨日帰国した私でした。