私は、ある年の7月4日、暑い夏の夜に生まれた。

大きなお腹を抱えて、本家の法事か何かに出かけてた日に母が産気付いたそう・・・


私は第2子・・・

兄貴がひとりいて・・・私が生まれる寸前まで兄は母のお乳を飲んでいたそう・・・

昔はそうやって子育てをしていたんです。


兄は私の顔を見たとたん、母のお乳を欲しがらなくなったとか。

「これは、赤ちゃんの」って・・・寂しそうにぽっちんしたそうです。


私が育ったお家は8畳一間・・・

土地が少しあったので、後に下に2部屋と2階に2部屋増築した。


父は、ぐうたらな酒飲み職人。

気が向いた時にしか仕事に行かない・・・

稼いだお金は、ほとんどキャバレー通いで使いきり、家計は貧困。

そんな父でも母は見切りを付けず、自分が一生懸命働いて私たちを育ててくれました。


お家を増築した時の事・・・

お酒の勢いで、父が買ってくれたのが私のアップライトピアノでした。

当時のお金にして38万円の品。


当然、本家が保証人になって増築した家の借金があったので、それはもう大騒動でした。

「どこの、お嬢さんよ!!!ピアノなんて贅沢な!」

怒鳴り込んで来た、本家の叔母さんの事は未だに覚えています。


それは私が小学校4年生の時の事で、確かにオルガンでは練習できない程ピアノは上達していました。

小学校の音楽室でピアノを練習していたので、自宅にピアノがある事が夢のよう・・・


そんな私の姿を知っていた母は、何も言わず黙って義姉に頭を下げていた事も覚えています。


だからかな・・・

子供心に思い描いたことは・・・


「私はこのピアノを絶対に無駄にしない!絶対ピアノの先生になってやる!!!」


そして・・・意地と根性でピアノの先生になりました。

友達が遊んでいる間もレッスン代稼ぎのバイトをこなし・・・レッスンに通う毎日でした。


でも、あの頃はピアノの先生になる!って夢があったから全く苦痛ではなかった。

音大に行く資金は無かったので、幼児教育学科で教育実習をこなしながら、ピアノレッスンの他、声楽・・・ドリマトーン・・・和声学・・・ソルフェージュ聴音等のレッスンに通っていました。


そして、当時お付き合いしていた彼も優しい彼で・・・私の心の支えになってくれてて・・・

お家も私の家みたいに貧乏ではなく・・・その逆。

私は、その彼と5年間のお付き合いを経て・・・愛する彼と結婚することになったのです。

23歳のお誕生日を迎える年・・・

奨学金という借金を背負って・・・


つづく・・・


2008.10.18追記;

この先を続けようと思っていましたが、既に新しいスタートを切っているので書くの止めました(^▽^;)

ご縁の深い方には、とことん私の今までのストーリーを語ることになるとは思いますが・・・

ココまでは“夢の実現”ということで、ピリオドを打たせて頂きます。