とうとう帰国の日も決まって、準備を始めました。
熱があるうちは、意識もはっきりしていなかったし、寝ていることが殆どだっただんなさんも、昼間は起きていて、車椅子で屋上に行ってみたり、シャワーを浴びたりと普通に過ごせるようになってきました
寝たきりの状態の時には看護婦さんが毎日体を拭いてくれていたので、全然気にしていなかったのですが、3週間目にして初めて気がつきました。いくら体を拭いてくれるとはいえ、足の指の先まではやってくれていなかったようで、汚い話ですが、指先が垢だらけでした~
入院中に増えてしまった荷物を入れるために、大きいスーツケースを買うことにして、近くのイオンまで行こうとすると”私も行くよ”とだんなさん。
3週間全然歩いていなくて、しかも入院中。買い物なんて行けるわけがないのに、全く状況がわかっていないので、笑えました
そんなこんなで数日が経ち、とうとう帰国の日です
空港に行くのが朝6時くらいでしたが、興奮して眠れなかっただんなさんは4時くらいから起きていたそうです。
病院から空港まで、民間の救急車に乗って、飛行機に乗るまで車椅子。日本まではお医者さんも同行していただきました。
そのお医者さんは、つい数日前に珠海という所から日本に帰国する、脳出血で倒れた患者さんに付き添って日本に行ったばかりだということでした。その患者さんは言葉に後遺症が残っていたとのことで、だんなさんは後遺症が何もないようなので驚かれました。しかもその患者さんが倒れた珠海という所はかなり田舎で、大きい病院がなかったようで、病室ではベットではなく、床に寝かされていたという話も聞き、だんなさんは本当に運が良かったと思いました。
成田からはまた民間の救急車に乗って、厚木の七沢病院に行きました。巨人の長嶋さんも入院していた病院です。
広州の病院で撮ったMRIの画像と薬を持って帰ってきましたが、七沢病院の先生の反応は、画像は撮りなおさないとダメだし、薬はこんなの飲んでいたんですか?みたいな感じでした
やっぱり中国の医療はかなり遅れてるっていう感じなのでしょうね。
七沢病院で久しぶりに家族と対面。
子供に車椅子を押してもらう姿に複雑な気持ちでしたが、帰ってこれてよかったとつくづく思いました
だんなさんは病院で様子を見るために1週間ほど入院して、後遺症がないか調べるために、リハビリやテストを受けたりしました。
私は、やっと家に帰ってくることが出来、長かった中国入院生活も終わりとなりました。
THE END