カテーテル検査で、出血部分を留めているクリップもきちんと留まっているので、これで再出血の心配は無いということでした。

検査結果に一安心したのもつかの間、3日後から熱が39度以上になってしまい、なかなか下がりませんガーン

術後が順調であれば、ストレッチャーに寝たまま飛行機に乗って、帰ることが可能だということでしたが、熱があるうちは飛行機には乗れないとのこと。

ひたすら熱が下がるのを待ちました。

熱が下がらない不安、長引く入院付き添い生活にだんだん落ち込んでいきました。毎日ダンナさんの両親に電話で報告するのも、言うことがないので、”病状に変化がないので、何かあったら電話します。”と言ってみたのですが、こちらからかけなくても向こうからかかってきて、かなりのストレスあせる

しかも、帰国した後に”あの時あなたが投げやりな言い方するから・・・”と言われてしまうのでしたむっ

私の母に涙ながらに電話すると”あなたがしっかりしなくてどうするの”と言われ、やっぱり母は強しです。

落ち込んでいる時は、かえって叱咤されるとしゃんとするもんですね。ここで気が引き締まりました。

そして、高熱が出てから5日後くらいから、解熱剤が効くと一時的に熱が下がるようになりました。

ダンナさんの両親に電話で”熱が下がったんです!”と報告すると、”解熱剤で下がっているだけでしょう?”と言われ、再び落ち込みましたしょぼん

でも解熱剤が効きだすと、徐々に微熱程度になって行き、私も精神的に限界だったので、何が何でも帰国したいと言ってみました。

1週間後の飛行機を予約してもらうことになり、やっと日本に帰れると思ってからは、ダンナさんの具合も良くなって行き、車いすに乗って病室からも出れるようになりました。屋上の庭園に行ったりもしました。

会社の人にデジカメを借りて、車椅子に座っているダンナさんの写真を撮り、会社の人にメールで姉に送ってもらいました。それをダンナさんの両親にも送ってもらいました。

ずっと寝たきりだったのが、車椅子に座れるようになるくらい回復したということを知らせたかったからです。

私の母は電話で”元気になってよかったわね”と喜んでくれましたが、ダンナさんのお母さんは”なんだかショックだったわ~”と言いました。せっかく喜んでもらうつもりで送ったのに・・・ガーン

そんなことはさておき、ダンナさんの調子も良くなってきて、帰国の日も決まり、やっと入院生活も終わりに近づきました。

ここで日本じゃあまり見ない中国人の行動について書いておきます。

道路は信号が無いところを渡るのは当たり前ですが、信号が赤でも渡ろうとします。北京オリンピックを目前に控え、交通マナーを改善しようとしている中国では、横断歩道には信号を守るように指導する人が立っています。日本でいうと、小学校の登下校時に横断歩道に立っている緑のおばさんみたいな感じです。

そして食べ歩きが当たり前の中国人。スーパー(歩いて10分くらいのところにイオンがありました)のエスカレーター横のベンチでは必ず座っている中国人は何か食べています。

そしてダンナさんが入院している病院は大きい病院でしたが、エレベーターに乗るのにも、ヨーグルトをスプーンで食べながら乗ってくる人がいました。

以前、上海に住んでいる時も、中国人は食べながら歩いているうえに、食べたゴミを平気で道路に捨てるのでびっくりしましたが、その時に比べるとゴミを捨てるのはやらなくなったようです。

とにかく、中国は馴染めないところでした。

早く日本に帰りたい~と思ってから長い滞在でしたが、やっと帰国まで1週間をきりました。

つづく