ダンナさんの両親が帰国してしまった後、ダンナさんがICUを出るまでの3日間、到着した日に使った病室はまだ使えないので、私はホテルに泊まりました。

はじめは会社のSさんやAさんが会社の車で送り迎えをしてくれて、病院でICUのモニターから様子を見る以外はやることがないので、広州の町を車で回って、滞在に必要なものを買いに行ったり、病院から歩いて行ける所にあるイオンのスーパーを案内してもらったりして、夕食は会社の方々と食事に行くという生活でした。


3日目になり、ダンナさんは病室に移ることになり、入院後初めての対面。

私を見て、”なんでここにいるの?”と言われ、本人は手術のことなど全く覚えていないのでしたガーン色々話をして、自分がくも膜下出血で手術をしたということを納得しました。

今でも忘れられないのが、病室に移ってはじめに何か食べたいものある?と聞いた答えが”いちご大福とマンゴープリン”だったことですにひひ

食べ物といえば、大変なことがありました。中国の病院は入院患者に食事を出さないということですショック!理由は、中国人は食にこだわりがあるので、食事は出さないと言われた気がします。

病室でオーダーは出来るので、朝注文しておくとお昼や夜、注文したものが届きます。点心や中華が注文できますが、メニューはもちろん中国語ですにひひ

ダンナさんの食事をどうしたらいいか?で色々苦労しました。

はじめのうちは、ずっと食べていないので、お粥から始めればよかったので、近くのお粥専門店に買いに行ったりして、会社のSさんにはジューサーをお借りして、果物でジュースを作って飲ませたりしました。

でも、キッチンがあるわけではないので、調理も出来ないし、何を食べさせたらいいのかもわからず、保険会社の友達に電話をして、栄養士さんの話を聞いてもらったりしました。

日本だと入院中は塩分控えめの食事をしたりしますが、栄養士さんからも塩分は控えてとのアドバイスだったので、それを気を付けていました。

ところが2週くらいたってからだったか、CTを撮ったら、水頭症のような症状が出ていて、意識レベルも下がっている。なんでもっと塩分を摂らないんですか?と先生からいわれ、大ショックを受けましたえっ

その後は点滴にナトリウムが追加され、塩分不足は解消されたのでした。

そういえばCTやMRIの検査は何回も受けましたが、ここでも驚くべきことがありました。

入院している病室は外国人専用で、それはその棟の上層階のみでしたが、検査は別棟にありました。検査の時はベッドのまま、エレベーターで1階まで降り、渡り廊下を渡り、一般患者さんの待合室を通りぬけ、やっと検査室に到着します。その行き帰り私と会社の総務で付き添いのために滞在してくれているAさんと病院の人と3人で、ベッドを押していくわけです。しかもやっと検査室に着くと、検査用のベッドに移す時も検査の人1人が加わり、4人でシーツの四隅を持ち、”せーのっ”の掛け声とともにベッドに移すんです目

中国人がせーのっ、とは言わなかったでしょうが、とにかく笑えます。こんなの病院の人がやるもんでしょう?って思いますよね!?

人手不足なんだか・・・


ここまでですでに2週間、1~2週間で帰国できると思っていた私の予測ははずれ、滞在ビザが必要となり、ビザ申請にまで行くことになるのでしたあせる

夕飯は主人がまともな食事をしていない間は会社の方が気を使って下さって、日本食やポルトガル料理に連れて行って下さいました。初めは送り迎えもして下さいましたが、回数が重なると、私を送ってから帰るのが負担になったのでしょうね。ある日、”帰りは一人で大丈夫ですか?”と聞かれ、状況を察した私は”大丈夫です”と答えるしかありませんでした汗

まあ上海に9ヶ月とはいえ住んでいたこともあるので、まったく馴染みが無いわけでもなくタクシーくらい乗れますが、不安は不安でした。なので、その後は夕食は病室で食べることにしたのでしたガーン


つづく