病院のベッドで寝ることになったものの、どこでも寝れる私は、病院のベッドにもかかわらず、ぐっすり寝れました
朝起きて、一緒に泊まってくれた女性スタッフと共に、朝食を食べに街に出ました。
近くにあるお粥屋さんで、お粥を食べたりして、なんだか旅行気分です。
病院に戻って待っていると、ホテルに泊まった両親も来て、ICUに入っているダンナさんを見に行きました。
テーブルと椅子のある部屋に通されて、少し待っていると、モニターにICUのベッドに寝ているダンナさんが写りました。
日本のように白衣来て帽子被って、マスクをして病室に入るとかではないんですね~。モニターでみるだけなんです
予想していなかったのですが、頭の手術なので、髪はなくなっていました。切る部分だけかと思いましたが、すっかり坊主になっていました
そして、その日は私もホテルに行くことになり、ホテルで昼食を取ることになりました。
食事をしていると、一緒にいた会社の人に病院から連絡が入り、”手術をするので、サインをして欲しい”との連絡だというのです。
何でまた手術?どうなってるの?と思い、食欲もなくなり、1人で部屋に戻ってしまいました
後でわかったのですが、手術というのは”腰椎穿刺”といって、くも膜下出血で出血した血が髄液に混じってしまっているので、腰椎に注射器を刺して、血の混ざった髄液を抜き取ることでした。
日本でもそうですが、何をやるにも家族の承諾が必要な訳です。
その日の午後は、手術を執刀したお医者様から手術の説明も受けました。
先生の部屋に入ると、座っていたのは、60歳くらいの男の先生で、中国3千年の歴史っていう感じ(どんな感じ?)の超ベテランの貫禄のある先生でした。
血管の破裂した部分の説明をされ、その血管を留めているチタンのクリップも見せてくれました。ちなみにクリップはドイツ製でした。
その先生は、年間300件くらいの脳手術をこなしているそうなので、日本のお医者さまよりずっと経験豊富で腕は確かだったので、
だんなさんはラッキーだったと思います。日本だったら、1つの病院での年間手術件数が100件以下だったりしますから・・・。
先生の説明も終わり、その日は両親と3人ホテルに泊まりましたが、夕食の時に意外な話がありました。
”自分の薬が無くなってしまうので、私たちは明日日本に帰ります”というのです
”まだICUのモニターでしかダンナさんを見ていなくて、直接会ってもいないのに、もう帰っちゃうんですか~?だったら、来なくても良かったんじゃないでしょうか~”と心の中でつぶやきながら、”そうですか”と答えるしかありませんでした、そして次の日、二人は日本に帰って行ったのでした
つづく