2006年、学校は後一日行けば春休みという学年最後の登校日でした。
電話が鳴ったのが朝5時。電話の主はダンナさんの会社のIさんでした。
“ご主人が広州でくも膜下出血で倒れました。今すぐ家を出ていただければ、10時の飛行機に間に合います。”と言われました。くも膜下出血って何?今すぐなんて出れるわけないよ。と頭の中が混乱する中、“今すぐ出るのは無理です。”と答えると、“では、14時の飛行機があるので、それを取ります。”と電話が切れました。
それから、ダンナさんの実家に電話すると、自分たちも行くというので、再びIさんに連絡を取り、チケットの追加をお願いしました。
その後は自分の実家に連絡し、子供達を預ける準備をし、友達、少年野球の当番の人、お習字の先生、保険会社の友達と、可能な限り連絡をしました。
くも膜下出血って何?と思ったでネットで調べると、三割が死亡、三割が後遺症、三割が普通の生活に戻れると書いてあるのを見て、愕然としました。
死んじゃうかもしれないんだ。と思うと、どうしていいかわかりませんでしたが、とにかく広州に行く準備をしなくちゃと思いました。
子供達を学校に送り出し、実家に必要な着替えや野球の道具などを持って行くと、姉が言ってくれました。
“友達のご主人で、福岡出張中に倒れた人がいるけど、今は治って普通に生活しているから大丈夫だよ。”この大丈夫、が私にとってどれだけ勇気づけられたかわかりません。
その時本当に、きっと大丈夫だと思えたからです。なので、その後ダンナさんが死んでしまうかもしれないという気持ちには全くなりませんでした。
家で準備をする時も、一週間位で帰ってこれるだろうという気持ちでしたが、写経のお手本と暇な時の為にと、ビーズセットをスーツケースに入れました。
そして駅まで行き、ホームで電車を待っていると、携帯が鳴りました。
会社のIさんからの電話で、出てみると、“中国の病院からの問い合わせで、手術の方法をカテーテルか開頭手術かを選ぶようにとの連絡が入っていますが、どうしますか?”と言うのです。
手術の方法を患者の家族に聞くなんて、日本ではあり得ませんよね⁇
お医者さんが最善の方法を選択するものじゃないんでしょうか⁇
でも、答えないと手術が行われない訳で、Iさんにどちらがいいのか聞くと、カテーテルなら切らない分回復も早いし、最近増えているからそちらの方がいいのでは?と言われたので、“じゃあ、カテーテルでお願いします”とお返事して、電車に乗り込みました。
新宿でダンナさんの両親と会社のIさんと合流して成田へ。
全ての手配をしてくれたIさんとは空港で別れ、両親と三人、一路広州へ出発しました。

つづく