たしか 9月 ぐらいしか
認識がない
六年 いや もっと?
会わなかった
今日は 母方の祖父の
命日
お盆休みが終わり
仕事中スタートの朝
危篤の電話
母と
タクシーで
病院へ
お盆休み明けで
暑い日だった
私と母 ユキコサン
まだ 亡くなってないのに
母 私 が 号泣して
親族 祖母 伯父 叔母から
病室から
廊下に
出された
私は ずっとおじぃちゃんの
手を握り
私の寿命どのくらいか
わからない
でも
私の 命の時間を
おじぃちゃんに
今
手をつないでます
だから お願いします
って 生きて 生きて
祈っていった
あの日から
もう
信じられない月日
祖母は
祖父が なくなり
早く 迎えに
きてください
と 毎日 仏壇に
祈ってた かなり
長い年月
でも祖父は 二十年 プラスアルファ
迎えにこなかった
祖母は 長寿だった
その間に 私の伯父 若くして
亡くなり
私の母は若年性アルツハイマーに
なり
今日命日 祖父 の 亡くなった日
私が 悲しみと絶望で
葬儀は
高熱で
出席できない
たぶん 泣きすぎと
気持ちの高ぶり
若かった私
そして
嫁ぎ先の姉の
夫 義兄も
50目前 急死し
私たち家族にも
変化
いろんな 人生が
変わった
それは 悲しみと
絶望
人間関係も
変わり
そこに
財産とか いろいろ
お金に
まつわることが
関わると
いさかいや
みたくもききたくも
ないこと
満載
私は
もちろん 遺産も
ないし
借金もなしで
好きなように
生きた人だと
思われたい
娘達 妹
こんなブログ
はぁーーーーーー
ですが
おじぃちゃん
大好き
生まれ変わりが
あるなら
合図を
送って おじぃちゃん
お父さん
私を見この世に
送り出してくれて
ありがとう
でも
孫を 40代の
男ざかりに
おじぃちゃんに
なった あなたを 感謝するけど
ごめん どこかで許せない