派遣から 市の
総合病院の
調理補助の仕事に
つけた
総合病院は
左半身火傷
肺炎
その他 ブログで
ちょっと言えないって
入院 だけじゃない
火傷や その他いろいろ
健康診断も受けた
病歴も
病院側は
把握していた
毎日 普通の患者さんは
入れない
場所を通って
集中治療室
はい 嫌ほど 入ってます
医局
病棟に
食事を
運ぶ
配膳
病状に
応じて
同じ
料理でも
大きく違う
ここで
自分が しにかかったことを
ご破算にしようと
務めた
ダメだった
格部署に
食事を配膳 もりつけ
下ごしらえ
まで
耐えられる
でも
何度も この病院に
運び込まれ
死を直面した私
仕事するたびに
昔の
アホなことから
病院に
お世話になったこと
もう 大丈夫
私は 強くなった
ダメだった
院長のオッケーが出たが
そして派遣とはいえ
就職できたが
トラウマで
極度に鬱状態
市役所の 福祉課の方や
いつも行っている
何カ所の病院の先生も
応援してくれたが
ダメだった
怖いし
毎日悪夢の連続
派遣に言う前に
辛いことも
入院 手術 を
管理栄養士に
伝え
もう少し
がんばって見て
との
言葉
このままだと
生きて退院
死んでさよなら の
病院
このままだと 自分は自死する
と
主治医に
打ち明けた
翌日
申し訳ないけど
と クビになった
弱い私
患者さんは
必死
ここに
気持ちが揺れてる
私 アレルギー制限
術後の 病院食で
ショック状態に
なったら
クビになってよかった
耐えられる心では
なかった
あれから 一年
自分を 責めない
ただ 病院で
働くのは
無理ってことが
わかった
一年 経つと
私には昔ばなし
生きてるって
辛くて
そして
ありがたいこと