渡ると そこには
ボロボロ 木造小学校
市内中心部 なのに
昭和天皇が 戦後
全国慰問に 訪れた
小学校
近くの小学校からボロ小って
言われて しかも
建て替えの時期も
考えてか プールがない
で 歩いて 水着の上に
私服をきて 近くの
砂浜へ
テントが 張ってあって
生徒 もちろん私も
海へ ゴー
時々 サイレンがあって
まず人数確認
そのあと ものすごく大きい
金色のヤカンから 麦茶
しかも 砂糖いれたんかい
っていうぐらい甘い
一人二個甘露飴支給
泳げない私は
プカプカ うつ伏せで
浮いていたら
男子数人が
色白のわたしに
おまえさー
どざえもん みたいやなー
少女は 傷ついた
プールない
で 海岸で
海水浴って
信じられない
ちなみに 先生は
あなたたちが いい子に
してれば 高学年のとき
新しい
小学校が できますよって
嘘つき
でもあの木造の小学校で
図書係で 生物委員
だったわたし
図書室で好きなだけ
本も読めたし
家が近いから
先生の頼みで
校内の庭
畑もどき
樹木 カンナ
好きなだけ
水やりに いく 特権
照りつける太陽
私が 水やり しかも
ホースで 放水とか
やってた あの夏の日々
キラキラ 水滴が
輝き 幸せだったなー
だって 広いし
お水をジャンジャンつかっても
叱られないんだから