命日 | 7人の花嫁

7人の花嫁

和みカフェにようこそ

この時間 小学生の  長女
を学校に出して

元夫は家で プログラミング
次女は 教育テレビをみて
笑ってた

頭が痛い 薬をのんでも吐き気で
横になる
九時過ぎ 姉から 兄が
危篤と電話
兄は 五月に 急性白血病で
富山市から 高知白血病土佐清水の
病院に 入院したばっかり
あんなに 人生で テキパキ
したのは あの日だけ

小学生 中学生の甥 うちの子
幼児を 学校に電話して
おむつと財布 カバンに
詰め込んで タクシーで
富山駅へ
夫は 高齢の兄の母を 
迎えに行き
後から合流するからと
子供達を 託された
10時 過ぎ ギリギリ 
新大阪へ
新幹線で岡山
岡山から高知市へ
高知から黒潮鉄道
中村市から タクシーで
土佐清水へ
10時過ぎに出て

着いたのは深夜
とろくさい 私が 子供四人
連れて
高知のはて行けたのは
奇跡 
みんな 薄ぐらい個室に
集まっていた 友人 兄弟
おばぁちゃんも まにあった

兄は 歳が離れていて 
男気があり 
内向的な私 を 家族

家族といっても 元夫は
会社を始めて ほとんど
家にいなかった
ママ友もいないし
家で 誰にも相談できない
性格だったから
いつも 休みに どこかに
連れ出してくれた

進行が早く 望みをかけて
高知に 入院した 兄
夜中に 天国にいってしまった
朝七時前 雨で霧状態の
高知を出た
ご遺体の車 貸し切りバスの
私たち 全員で20人近く

病院の近くに マンションを借り
そこに
小さな姪 義理の母
が 住んで
姉を サポートしていたから
徹夜で 詰めれるんだから荷物を
詰めた

兄遺体に すがって みんなで
仲良く生きるからって
約束したのに
みんな バラバラになった
今でも もし 離婚しなかったら
こんなに バラバラに
ならなかったんじゃないかって
嘘つきです

生きていたら
もう70近くですかね
高知 滞在七時間

蒸し暑い 一日
小中学生は 成人
チビたちも
女子高生 専門学校に
いってますよ
お兄さんって 呼んだこと
なかった いつも 苗字でさんづけ
お兄さん ありがとう
天国でも グルメなんですか