長女を出産
子供が子供を産んで
と 自分の今の年齢より
若かった 私の両親が
守ってくれた
昭和 裕福な家でもないのに
中学生の時 アメリカへ
短期だが いかせてもらった
ちょうど ホームステイ中に
レーガン大統領暗殺未遂
そのときから どんな手段を
使っても 世界を みたい
それが 生きる意味だった
変わり者扱いされても
暴言はいても
許されて
お金がなかったら
母方の祖父に
本も買ってもらえた
それだけで 幸せ
夜通し アガサ クリスティなど
読んで
夜明け海岸線を 自転車で
何キロも走った その当時は
日に焼けた子供が健康
とか 言われ 青白い顔の私は
いつも 叱られた
平成
昭和天皇が 崩御されたとき
泣いた 悲しいとか の レベル
じゃない 何かが終わった
60代の元姑は
鼻で笑う
他にもっと泣くことがあるって
頭が切れる 彼女は 戦争で
進学もできず 舅は
遠い大阪から 富山に疎開
涙を流すことはなし
今なら解る
平成 ジェットコースター
みたいな 毎日
責任 義務 離婚 再婚 出産
育児 病気
いい人 世間がいう 普通
の 演技を 続けた
立派な母 嫁 仕事も
人より 努力した
ますます 自分の中の
葛藤
シャボン玉とんだ
壊れて 消えた
今
一人ぐらしになる私
傍に猫がいる
いつからでも
リ スタートは
できる
昭和ありがとう
希望をくれて
平成 と 線路は 続く
平成 世の中の厳しさを
教えてくれて
ありがとう
おてやわらかに
ちょっと 疲れちゃったよ
って 最後 うまくボケられんわ