「なぜ何も無いのではなく、何かがあるのか」

この問いに対し、世間にある答え(の一部)は次のようなものであった。

 

・世界が存在することに理由はない(ナマの事実)

・問いは無限遡及して終わることがない。

・この問題は疑似問題として却下する。

 

私はこの中でおそらくナマの事実が正しいと予想していた。

ナマの事実は、世界は存在する、以上、終わり。

ということである。

これに納得していただけただろうか?

私はさっぱり納得できなかった。

この納得できなさがこの記事を書いている理由でもある。

 

私の解答の「無は無であるという真理がある」ということについて考えてみる。

無は無であることについて、理由を求めたらどうなるだろうか。

「無は無であるということが、なぜあるのか?」

「なぜ、無は無なのか?」

あまりにも自明すぎて、理由を求める意味がない。

つまり、究極的に自明で、聞くことすら馬鹿馬鹿しいことが、ナマの事実の正体だったのだと私は思う。

世界がなぜ存在するのかという、巨大で、とらえようのない不思議な疑問は、これ以上ないほど自明なことがその表裏一体の本質だったのだと思う。

 

「無は無である」に、なぜと無限に問うたらどうなるか?

存在になぜと問うと、無限になぜが続く現象があった。

しかし、この解答に関しては、無限遡及は発生せずに止まる。

「無は無である」のだから「無が無である」ことに、なぜと問う意味がない。

(次へ続く)