「無は無である」ことの挙動について説明をする。
 

あなたの目の前に直径10センチの「無」が発生したことがあるだろうか?

もちろん、無いだろう。

なぜなら、「無は無である」から「無」が「ある」ことはありえない。

「無」は見ることも、触ることも、認識することもできないから「無」なのだ。

認識できたり、作用したり、物理法則があった時点で「無」ではない。

 

実はこれが非常に重要で、「無は無である」ということを別の角度から見ると「世界に無は存在することは出来ない」という法則になる。

「世界に無は存在することは出来ない、なぜならば、無は無だからだ」

 

例えば世界を次のように表したとする。

{1,2,3,4,5,6,7,8.9……}

「無は無である」から、世界は次のようにはなることは、出来ないのである。

{1,2,null,4,null,null,null,8.9……}nullは無を意味する)

 

こういった考察をせずに、私がもし、世界を作ろうとしたら「無」でまみれた、めちゃくちゃな世界を創造するだろう。

しかし、そもそも論として、無がある世界など、原理的に作り出すことができないのだ。
 

世界は有で完全に満たされていなければならない。

世界は有で連続していなければならない。

これが世界の根底をなす暗黙のルールだ。

「なぜ世界はこのようになっているのか」という問いは未解決の問題である。

しかし、私はこの一連の「無は無である」という考察がこの問いの答えになっているように思える。

 

「なぜ世界は有で埋め尽くされるようになっているのだろうか」

「無は無であるから、世界のすべては有でなければならない」

 

(次へ続く)