この世界はゲームに似ている。
厳密には違うのだが、手っ取り早く、おおざっぱに説明するにはこの例えが便利だ。
ゲームはどこに何があるか、何がどう動くか、などはすべてプログラムによって説明される。
ゲーム内の存在はプログラムが「ある」ように指示してるため「ある」のである。
ゲーム内の存在がなぜ「ない」のではなく、「ある」のかと問えばプログラムによって存在が肯定されているからである。
我々の世界もゲームと同様に、「プログラムのようなもの」によって駆動されている。
私は、この「プログラムのようなもの」、を「真理」と呼んでいる。
つまり、我々の世界は「真理」が「ある」ように指示しているから「ある」のである。
当然、真理は具体的にどういったもので、なぜ真理が存在し、誰が創造したのか、という疑問が出る。
真理が「ある」と指示すれば、なぜ「ある」のか、というのも不可解だ。
こういった疑問を真理の例を示しながら、紐解いていくことにする。
説明できる真理の一つに同一律がある、と私は考える。
同一律とは「AはAである」という形式で述べられることである。
具体例は次のようになる。
「無は無である」
「有は有である」
「動くことは動くことである」
「止まることは止まることである」
「私は私である」
「素数は素数である」
「回転は回転である」
一見、何ら意味のないこれらの同一律、これこそ、ゲームのプログラムのように、世界を支配している真理なのだ。
(次へ続く)
