前回の続きです。

睡眠、運動、TMSを続けてもなかなか結果は出ませんでした。

 

11月初旬に行われた早稲アカ主催の「早慶ファイナル模試」では相変わらず緊張で頭が真っ白になっており、結果は振るわずに終わりました。その後の模試もダメで合格確率は35%の低水準を続けていました。

 

外野(親)の心配というのは、戦う本人(息子)にとってずっしりと重たいものです。親の心配まで背負い込む心の余裕は全くないはずです。何も言わないで見守るしかありません。息子も親を不安にさせたくないので、口や態度には出しません。

 

慶應志木の自己推薦

12月、息子は受験勉強以外に自己推薦の為の出願書類の作成や、面接の練習にも時間を割いてきました。出願書類には志望動機、入学したら何をやりたいのかなどを簡潔にまとめて記入しなければなりません。そして12月中に簡易書留で郵送します。

 

そして2024年になりました。

受験は間近です...。

 

自己推薦は1月22日、第1次選考(書類選考)を突破し、翌日は第2次選考の面接でした。面接は本人的には手応えもあってほぼ合格しているだろうと考えていました。我が家では、その夜、ほぼ合格確定だと...。「前祝いだね。」と言っていたくらいです。

 

1月24日(水) 10:00、スマホで合格発表を確認すると、そこに息子の受験番号はありませんでした。ゲッソリそのショックは大きかったです。息子は落ち込んでいました。「なんで?どこが悪かったのかな...?」という疑問が湧いてきますが、それを考えても意味はありません。もうすぐ数日後から本格的な受験に突入します。最後の追い上げに集中しなければいけません。

 

しかし自己推薦の不合格は暗い影を落とします。1月25日、栄東の特待生選抜、不合格。続く2月1日は立教新座の入試は繰り上がりが期待できない補欠合格でした。早慶組であれば受かるはずの立教新座に落ちてしまった事で「早慶は無理かもしれない。」とさらに落ち込んだそうです。

 

そんな状態で迎えた2月7日、慶応志木の一次試験。試験問題に関しては今まで散々勉強してきたし、平常心で臨めば解ける自信はありました。息子の心配は「解けなかったらどうしよう。」ではなく「緊張したらどうしよう...。頭が白くなったらどうしよう...。」でした。どうしたら平常心でいられるかが彼が解決しないといけない難題で、試験会場に行く間もずっとその事ばかり考えていました。

 

試験開始

 

試験が開始すると息子は思ったより緊張せず、頭が白くなる事もなく、冷静に問題を解けたそうです。この日、息子は扁桃体の暴走を抑える事ができました。「睡眠、運動、TMS」が結果を出したのです。野球で例えれば9回裏の2アウトでの逆転でした。

 

そして慶應志木高等学校は合格、続く慶應義塾高等学校も合格しました。