夏頃から具合の悪かったおじが、6日亡くなった。
翌7日、8日は慌しく通夜、葬儀となった。
30年以上寝たきりだった叔父には、既に世間との繋がりは無く、
妻や兄弟のほとんども行方知れず。
4人の娘とさば家、総勢8人のみで送ることとなった。
夜7時からの通夜に先立って、葬儀屋の遺族室にいるいとこ達に挨拶しに行くと、
みんな意外と元気というか、ケロッとしていた。
久しぶりにお互いのショボイ近況を報告し合ったり、
子供の頃のようにバカ話で盛り上がっていると、
入棺の儀に。
この式場のやり方なのだろうか、
映画のおくりびとのように、ご遺体に死装束を着けて、お棺に納めるまでを
近親者で行うのだ。
小さくかじかんだ叔父さんの遺体と対面すると、
自分が何しに来たのか、今どういう状況なのか、
はっと思い知らされる。
さっきまで笑っていたいとこ達も一様に涙ぐみながら、儀式を執り行っている。
しかし、続く通夜の打ち合わせでは、
ご焼香の回数で激しい議論となる。
あまりの激しさに、葬儀屋のスタッフさんがたまらず割ってはいるほどだった。
結局3回ということで決着し、みんな安心して通夜に臨むことができた。
住職が到着し、お経が流れ出すと空気は一気に霊界モードに。
激しく討論していたいとこ達も、例によって神妙な顔つきで手を合わせている。
さばをも、”おじさんは、不自由な身体から開放されてよかったのかな”
果ては”人の人生って儚いな~”的なところまで
思考が巡ってしまった。
お経を聞きながら目を閉じていると、
死装束姿の叔父さんが、霊界への旅をしている様が見えるようだ。
参列者が少ないので、式はサクッと終わり、
全員で住職のタクシーに一礼してお見送りした。
厳密には、タクシーが式場の門を出てないうちに、さば父が
”さて晩飯はどうするか・・・”
このようにあの世と俗世の間を行き来しながら、
2日間の儀式のすべてが終わると、
ほっとする間もなく、待っているのは請求書という俗世のしがらみだ。
おじさんは亡くなるまでに3回危篤状態になった。
そのたびに娘達が遠方から呼び寄せられ、
様態が安泰するまでの滞在費もろもろや、
今回の葬儀の費用も、
生活するので精一杯な彼女達に代わって、
すべてさば父が用意していたらしい。
葬儀屋はあの世とこの世が交差する場所だ。
しかし、儀式の終わりとともに霊界への扉は閉じ、
これからは実娘であるいとこ達が責任を持たなければならない。
そんな彼女達に葬儀社のスタッフさんが、
49日までの儀式とスケジュール、
仏様を祭るために必要な物を丁寧に説明してくれた。
さばをは向かいに座って傍聴していただけだが、
代替わりをして生活を預かって行く責任の重さ、
大変さに慄然とする思いだった。
自分には経済的、精神的に不可能だ。
でも永遠に回避できる物ではないのだ。
このように本当に恐ろしいのは、得体の知れない霊界ではなく、
なんだか先の見える俗世間のほうだ。
確実に貧乏さの加速するなかで、
親も自分も老いて行くという現実だ。
なんだか暗い結びになりましたが、
今のところは叔父さんの冥福を祈りたいと思います。


