<II>スペインの哀しい王女(ドラマ・波乱のスペイン女王イサベルより) | 季節だより

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季節の移り変わりはグラデーション…
気が付くといつの間にか「春・夏・秋・冬」になっている。
移ろい行く中で感じたことをのんびりと書いていきます。

(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

俳句の季語「春」の定義は

立春から立夏の前日迄…即ち

節分の次の日2月4日から5月6日迄を

「春」と言う。

 

桜の木に成っている“さくらんぼ”

可愛い〜!

 

つつじ…まばらに咲いているのも

なかなか良い!

 

壮大なネモフィラ群@@!!

…行ってきました!国営ひたち海浜公園。

 

見事に咲いたヒメウツギ。

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さてさて本題に入ります。

前回の話は…イサベル女王と夫のフェル

ナンド王が協力してスペイン王国創設

に至る経過を書いたが…

今回は2人の…3番目にして次女の

ファナが主人公。

以下…殆ど出典はWikipediaです。

 

ファナ王女。

幼少期は、内気な性格で一人で過ごす

ことを好み、読書好きで多数の言語を

習得した。非常に信仰深く育つが政治

には全く関心を示さなかったため母

イサベル女王を落胆させた。

王女に必要な学問を身に付け、音楽・

舞踊にも造詣が深かったという。

 

ドラマのファナ王女。

1496年、ハプスブルク家の神聖ローマ

皇帝マクシミリアン1世の長男のブルゴ

ーニュ公フィリップと結婚。

フィリップの妹は、ファナの兄と結婚…

即ち二重婚であった。

 

夫のフィリップ…気品があり容姿端麗で

美公と呼ばれた。

 

ドラマのフィリップ美公。

18才と17才の2人は一目会った時から

恋に落ちた❣️

ファナは周りが見えなくなる程夫を愛し

一途になってしまった。夫の行動から

目を離さず何でも行動を共にした。

しかしファナの思いとは逆にフィリップ

美公は直ぐにファナに飽きた。元々度を

越した浮気性だった為、愛人を次から次

へと作る夫をファナは許せず…人前も

憚らず夫を罵り声を荒げた。夫の愛人の

髪を丸刈りにした事件も起こった。

 

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スペイン王位継承一位の兄ファン皇太子

が新婚6ヶ月で急死!…その後継承者が

相次いで亡くなったのでファナに順番が

来た。そこで…突然、フィリップ美公が

王位継承を主張!野心家のフィリップは

…ファナに時には激昂したり、時には

懐柔したりして接した。ファナと美公の

間には2男4女が生まれた。

しかしファナは夫の愛情に猜疑心を募ら

せ、精神に異常をきたすことになった。

母のイサベル女王はファナをモタ城に

幽閉した。

 

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ドラマを見ていたら…侍女がそばにいない

中で、妊娠後期のファナが大量出血に見舞

われて1人で出産する場面があり…

そのリアルさに息を呑んだ。

 

↑やっと見つけた動画。

 

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王位継承…西欧では女王・王妃の子

なければ継承はできなかった。側室や

愛人の子供は継承できないのである。

子供は…幼くして亡くなることが多い

時代であり且つ政略結婚の道具として

使えるので女王も王妃も子を沢山産む

ことが望まれた。王妃はともかく…

女王子沢山ってホント驚嘆尊敬する!

家事育児はしなくてよいとは言え…

王室の長であるだけでも大変なのに…

出産は心身を消耗する…。

例えば…オーストリアの事実上の女帝…

マリア・テレジアは16人の子供を

産んだ。成人を迎えたのは4男6女

だった←めまい😵‍💫

有名なのは末っ子マリー・アントワ

ネツト。彼女はフランス王室に嫁ぎ、

結局、断頭台のと消えた…。

 

イギリスのヴィクトリア女王…

4男5女の9人を産んだ。娘達をドイツ

帝国を中心とした各国の王族・貴族に

嫁がせ41人の孫、37人の曾孫が誕生

した。有名なのは孫のロシア皇帝ニコ

ライ2世の皇后アレクサンドラ。

曾孫が皇太子アレクセイ(ヴィクトリア

女王の血友病遺伝子を継いで血友病に

なっていた)…ロシア革命でニコライ2世

一家はと消えた。

 

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<父フェルナンドと夫フィリップの確執>

父はフランスと戦っているのに、夫は

親フランスなのである。病に伏していた

イサベル女王は…フィリップが君主の

資質に欠けることを見抜くと「ファナに

統治能力が無ければフィリップの共同

統治権事態も存在しない」旨を遺言した。

父と夫が対立…そんな中で遂に1504年

11月カスティーリャ王国の女王であり

であるイサベルが亡くなった…。

 

遺言をのこすイサベル女王。

(エドゥアルド・ロサレス作1864年)

 

スペイン王国は…イサベル女王のカス

ティーリャ王国とフェルナンド王の

アラゴン王国が統一されて日が浅く…

国内は混乱に陥った。

ファナの不安定な精神状況を利用する

父と夫…。

父フェルナンドの和解策により一旦は

両者良好な関係になった。そしてファナ

はカスティーリャ女王になった。ところ

夫フィリップは…1506年ボールゲー

ム直後に冷水を飲んで…突然死してしま

った。ペストの疑いもあったが、今

もって死因はわからない。

 

フィリップの死去(19世紀画)…

 

衝撃を受けたフアナは完全に正気を

失った。夫の埋葬を許さず(防腐処理は

してあった)その棺を運び出して馬車に

乗せ、数年間カスティーリャ王国を

さまよい続けた。

 

狂女ファナ(フランシスコ・プラディ

ーリャ作1877年)…目に注目!

 

フアナは父王によって修道院に隣接

した城館に幽閉された。女王は政治の

場から忘れ去られ、「狂女」と呼ばれ

る。40年以上の幽閉生活の末、

1555年に生涯を閉じたが…正式には

崩御するまで退位を拒み、女王であり

続けた。サインをする際も、フアナは

最期まで「ヨ・ラ・レイナ」(Yo la 

reina:我、女王)としていた。

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ファナの子供たちは末っ子を除いて皆

ファナとは別の所で育った。

 

↑⚫︎長男…神聖ローマ皇帝カール5世&

スペイン王カルロス1世…彼は遠征から

の帰国のたびに母を見舞い、存命である

ことに安堵していた。

 

⚫︎次男…神聖ローマ皇帝フェルディナ

ンド1世。

⚫︎長女…ポルトガル王妃、後にフランス

王妃。⚫︎次女…デンマーク王妃。

⚫︎三女…ハンガリー王妃/ボヘミア王妃

⚫︎四女…ポルトガル王妃。

ファナの女児たちもまた政略結婚で各地

に散らばった…果たして幸せになったの

だろうか?

 

政略結婚…個人の意向無視という全く

人権蹂躙もいいとこだが、19世紀まで

はある意味、大国同士の平和を保つ

手段でもあった。

現代は「大国同士の政略結婚」は死語と

なった。それだけに「話し合い」が

最も重要なのだが…ため息が出る昨今…。

 

🌿気分転換いたしましょう🌿