まずわたしはとてつもなく、わたしはいま無気力で無力であるということを強調しておきたい。


自分の人生を左右する、所謂人生の分岐点に間も無く差し掛かるからだ。

私があの場所で過ごしてきた数年は一体なんだったのか。
半年休んでまで親に助けられながらここまできた私の人生は何だったのか。
親に迷惑かけ続けてきた私の人生はー……。
半年休んでまでここまで来た今の私に残っているもの、得たものは言ってしまえば何も無い。
ふと周りを見てみると周りの人達は自分と違ってとてつもなく輝いて見える。自分の誇りと思えるそれぞれの何かを得たかのように。
正直言って、私のこの数年間は苦痛でしかなかった。この道でなくても苦痛だったかもしれないが。
ただただ親曰く手に職だけはつけろというのを言われるがまに自分の成績とも照らし合わせて考えた結果がいまの今居る私の軌跡であるが、ささやかな憧れでしか知らなかった現実にいざ足を踏み入れてみて現実を知れば知るほど遠ざかりたくなる、正直に極端に言ってしまえば死にたくなるような、将来に期待というよりも絶望すら感じるようなところに自分は向かっていくのか、そんな人生を選んでしまったのかという後悔しか生まれていなかった。そんなことに気づきながらとにかく卒業だけはしなければと思いここまで親の助けに救われながらここまで来たわけだが。


もう、日数的にはいまからやっても間に合わないことは明らかで、周りを見てみればみんな必死こいて頑張ってる姿にいつしか私もやらなきゃ!とか周りがこんなに頑張ってるんだから自分も頑張らないと!なんていう焦りに似た感情すら湧いてなかった。いや、でも多少は感じていたかもしれない、心のどこかで。
だけどもう諦めていた。
ここまできてとんだ親不孝者だと自分を責める日々が始まった。そして、それと同時に私はある決意をしたんだ。
その自分の人生を左右する日を境に結果によってあることを決行しようと。

もうこれ以上親に迷惑と負担はかけさせられないし、情けないし頼れない。
ただ、自分が残してしまった代償というか罪のようなものが少しでも軽くなるように若しくは解消出来るようにあることを頑張ってなくしていかないといけない。



もともと私は産まれてきたくなかった。
生を望んでいなければ、胎児期から生きることを強制されているかのような毎日で生きたいと思うより死にたいと思うことの方が多かった。
五体不満足で生まれたにも関わらず、ただ一つ、自分の人生を堕落させるようなパーツがあったのだ。
コンプレックスというものが表面上にあるだけで人は好奇な目で見ては悪口を言ってくる。生だって顔だって胎児期に選ぶことは出来ないのに、そんな思いしてまで生きなければならないのか。
案の定そのコンプレックスはいじめを受ける最大の要因になり、これが原因で死にたいと思う毎日が増えていった。自傷だって未遂だって何だってした。死ねるのであればどうでもよかった、すべて。

このままではいけないと思ったある時から自分を変えようと努力したら、友達ができた。
いまでも交流のある人たち。
大切な人たち。
自分のコンプレックスさえ気にしない、気にならないと言って大人になった今でも会ってくれる同級生たち。
必要としてくれてるからいまでも会えるのだと重い嬉しかった。




コンプレックスがある、目立つ場所にコンプレックスがある私は私のことがとても嫌いだった。
いつかわたしのコンプレックスさえ気にせず愛してくれる人を求めていた。
この数年間で何人の人と出会っただろう。
いろんな経験もした。
良くも悪くも私にしか出来なかった経験は今思えば楽しかった。
世間が許さないだろうことも。

悲しい日だってあった。
寂しくなる日だってあった。

そんな繰り返しの中でも
わたしは私のことを私の全てを愛してくれる人にやっと出会えたんだ。
出会いと別れの繰り返しの中でやっと。
でも、辛いことが先にあった。
いまでも尾を引いてしまうほど辛いことが。
だけど今はそれ以上の幸せを私は手に入れたんだ。
私の一番の欠点であるコンプレックスさえ気にしない、その部分よりも私という私を受け入れてくれる人。

諦めなければいつかちゃんと出会えるんだと思えた。

きっとこの先この人以上は現れないんじゃないかと思うくらい。
















ただ、そんな日々の中で
幸せなはずなのに
わたしは真逆のことをいつも考えている。











早く楽になりたい。
















ただそれだけ。



















街を歩けばコンプレックスの私の表面は笑われて、どこを歩いても電車に乗っても彼といても奇妙なものを見るかのような目で見てくる人たちばかりで。
だからと言って外に出られないという訳でもないから普通に外出はするが、とても気分が悪い。それが起きる度に死にたくなる。





よく、あなたが死にたいと思った明日は生きたいと強く願って死んでいった人たちの明日なんだとかいう言葉があるけど私はそんな言葉が大嫌い。
人の人生とか私には関係ないから。


生きてる人間だって死にたくなるほど辛いことが沢山あるし生きてる事の方が辛いことだってあるんだから。
それと比べないでほしいし当てつけないでほしい。

















周りの人間が自分を嫌うように私もあなたたちが大嫌いです。(関係者に限る)







私が本当にしたいことは何も無い、
ただそれだけしか今は思い浮かばない。

だから行動に移せない。

本当に役立たず。
クズな人間とは私のことを言うんだ。
生きていても仕方がない。
堕ちればただの人。


だったらもういっそのこと。
















思うのはやっぱり
産まれてきたくなかった。

私は自分が嫌いだ。
無力で自信がなくいつもびくびくして何も出来ない人間だから。
本当に役立たずで生きてる意味を問う毎日。
目的目標があるからそれに向かって生きてるけど、それが出来ないと思ってしまうしできたとしてもできた自分を認めることが出来ない。
自己肯定感なんて早々ないもの。
自己否定しかない。
なんでこんな生き方になってしまったのか、振り返ると否定ばかりされてきた毎日を思い出す。褒められたことなんてないし認められたいって思って行動しても否定されてばかりだった。
そんな自分の中のインナーチャイルドが時々顔を出す。否定感情と共に当時の悲しさが蘇り涙が止まらなくなるのだ。
そんな自分と時々向き合い慰めるが解決しない。
カウンセリングにも行ってみたが、カウンセラーは毎回話を覚えておらず、毎回はじめから話す始末。めんどくさくなった。紙に書いてるはずなのにどこにいったの、そのメモ帳はと言いたくなった。どうにか解決したかったのに、いつのまにか私は通わなくなった。
精神科にも言ったが、合わなかった。何故なら話を聞いてくれるが結局薬で解決しようとする医者と合わなかったからだ。
結局自分次第だという答えになった。
精神科の薬を飲めば、無気力になるし副作用がなんせ酷い。飲まない方が普通でいられる。
日常生活の支障にすらなってしまうものだから、下手に薬に頼れない。
なのに、数年も自己嫌悪から抜けられない。
いい気分でいられるのは一年の間でほとんど無い。ほぼ鬱状態だ。
仮の自分を作って演じて過ごしてるのがほぼ。
だから疲れる。
一生懸命生きたいと思って病気と闘いながら生きてる人に申し訳ないが、生きるということ自体が私にとってはとても難題で死を考えてしまうほど苦しい。死にたいと思ってしまうのに生きてる意味は何か毎日問うてる。なぜ生きてるのか。
答えなんてないのはわかる。

ただ、無力だと思ってしまういつも否定してしまう自分から解放されたいだけなのに。

今日もそんな自分から逃げられない。