~1987年~
「ねえ貴明君、知ってる?芸能人はオナラしないし、トイレにも行かないらしいよ」
「うっそだー」
「ほんとだよ、東京に住んでる私の叔父さんが言ってたもん。」
「・・・うーん、東京に住んでる人が言うのならそうなのかな。」
鹿児島県十島村。東シナ海トカラ列島の一つであるこの島は、鹿児島港から週に二度やって来るフェリーが唯一の交通手段であり、通称「日本一の僻地」と呼ばれる場所である。
日高京子は五年ぶりに十島村に産まれた女の子であった。同級生は京子の家から500メートル離れた家に住む肥後貴明ただ一人。否が応でも二人は毎日を一緒に過ごすこととなる。二人の話題の多くはまだ見ぬ東京、とりわけ芸能界の話などは二人にとってどんなSF作品よりも想像力を掻き立てられる面白いものだった。
「ねえ貴明君知ってる?女優さんって、普段は全然タバコが吸えない人でも本番のカメラが回ると途端に吸えるようになるんだって」
「うっそだー」
「ほんとだよ、東京に住んでる私の叔父さんが言ってたもん」
「・・・うーん、東京に住んでる人が言うならそうなのかな」
京子は、この東京に住んでいる叔父さんという存在のお陰で、自分が貴明よりも一歩芸能界に近い所にいる気がしてそれがとてつも無く誇らしかった。そして貴明の方も、京子が東京の叔父さんというワードを出す瞬間にする得意気な顔を見るのが決して嫌ではなかった。
~2012年~
「カット!はいオッケー!カメラの位置一緒なので、問題無ければこのまま次のシーン撮っちゃいますけど」
「あ、ちょっと待って。トイレ行きたいから10分休憩もらっていい?」
「分かりました!10分休憩でーす!」
トイレの中で、京子はふと25年前の貴明との会話を思い出した。
「ふふ、まさか自分で過去の自分の意見を否定することになるとはね。そりゃ女優だってトイレぐらい行くわよね。」
東京の大学へ進学した京子は原宿で芸能事務所へスカウトされ、あれよあれよという間に女優への階段を駆け上がった。
「ごめんね、お待たせ」
「はい、じゃあシーン52!本番行きまーす!よーい、スタート!」
「ゴホッゴホッ!」
「はいカット!もう一回行きまーす」
このシーンで35回NGを出した京子に、その後二度とタバコを吸うシーンがまわって来ることは二度となかった。
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