チェルノブイリ原発事故から25年
【Chernobyl】
チェルノブイリ原発事故から25年を迎えました
現地のウクライナ各地では犠牲者追悼行事が執り行われ
市民や関係者が黙祷を捧げました

1986年4月26日1時23分
事故で爆発した4号炉は操業休止中で
原子炉が止まった場合を想定した実験を行っていたところ
制御不能に陥り炉心が融解し爆発する

この結果、国際原子力事象評価尺度 (INES) において
最悪のレベル7に指定される

北東へ向かって約350kmの範囲はホットスポットと呼ばれ
局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し
ホットスポット内は農業や畜産業が全面的に禁止され
現在も原発から半径30km以内の地域で居住が禁止されている

また、爆発後も火災は止まらず消火活動が続き
アメリカの軍事衛星からも赤く燃える原子炉中心部の様子が観察され
この影響で日本でも5月3日に雨水から放射性物質が確認される
ソ連政府は事故から36時間後に
チェルノブイリ周辺の区域から住民の避難を開始し
5月までに当該プラントから30km以内に居住する全ての人間が移転させられる
(推定11万6千人)
その後、当該プラントから半径350km以内で農業の無期限停止措置
および
住民の移転を推進する措置が取られ
結果として更に数十万人がホットスポット外に移転する
ソビエト連邦の科学者の報告によると
約28000km2が185kBq/m2を超えるセシウム-137137に汚染
(約83万人がこの区域に居住)
約10500km2が555kBq/m2を越えるセシウム-137汚染
(内訳:ベラルーシ7000km2、ロシア連邦2000km2、ウクライナ1500km2)
(約25万人がこの区域に居住)