発砲するオスカル | ★★剣を持った青獅子★★

発砲するオスカル

アニメにてオスカルがはっきりと
人に向けて発砲したのは4回。

(あたくしの記憶が正しければひらめき電球
バスティーユへの大砲発射は建物へ向けている、ということでノーカウントです☆)

1度目はドゲメネとの決闘の際。
オスカルはドゲメネとオルレアンの罠にハメられそうになるが回避。

子供を撃ったドゲメネの右手をねらい打ち。見事命中。




次はアンドレの左目から光を奪ったベルナールを撃つ。


原作では、アンドレの目を奪ったベルナールに復讐しようとするオスカルを冷静にアンドレが止める。

『武官はどんなときでも感情で行動するものではない』



の名言。

しかしアニメではオスカルの勢いにアンドレ間に合わず。

『どうした?!今の銃声…』

はぅっ!
ベルナール倒れてるやん!

アンドレが気が付いたときにはオスカル発砲済み。



残念でした。

でもいいのです。
やれやれ、オスカル。

原作のオスカルが出来なかった復讐をせめてパラレルワールドでは果たすのだ!
原作オスカルに比べて君は常に冷静に物事を判断出来るのだから!笑

しかも、ベルナールは負傷することで結局はロザリーと出会える運命になり結果オーライだぞ。


そしてお次は
サンジュストの手下のテロリスト。
衛兵隊に潜んでいた荒くれ者の男。
オスカルが衛兵隊に来たばかりの頃に剣を交えたこともあり存在感があった。


この男に命を狙われたのでオスカル発砲。

当たりはするが致命傷にはなっていない。

生かしたまま捕獲し、首謀者の名前を聞き出すために腕を狙った様子。





しかし、オスカルに襲いかかろうとしたのでこの男はアンドレとアランによって銃殺されている。


(さっきまで持っていた男の銃がなぜか見当たらない。)

これについては詳しくはまた後ほど。






そして最後は7/13の夕方。
激闘の末に約半数に減った衛兵隊を引き連れてベルナールたちの待つテュイルリー広場へ戻る途中。

ふと見ると目の前に兵隊がいる。
敵兵は銃を構えた、と同時に銃をとる
オスカル。
オスカルの放った弾は命中。
敵兵は倒れ込む。

しかし、この名も無き兵隊の放った弾は
オスカルの発砲と同時に彼女の大切な夫、
アンドレの心臓を打ち抜いたのだ。


原作ではオスカルの楯となり銃弾を自らの体で受け止めたアンドレ。

オスカルを護ったわけでもなく、
しかも名もない兵隊に撃たれて死んだ
アニメアンドレを
『こんなの犬死にだ!!!』

と嘆いたファンはもちろんいただろう。




確かに、
お前のために命を懸けるぞ!
と若き日に心に誓った約束を果たして死んでゆくアンドレの『死に方』は
『ベルばら』にとっては大変重要。

オスカルへの想いが、彼の最期に反映されるのだから。





しかし、アニメでのこの演出、大人になってから見ると深いなぁと思える。

(子供の頃はアンドレ死んじゃう!!!
と、しか思わなかったけど)




オスカルは平民達の側に立って自分の正義に従って戦ったが、このオスカルに撃たれた敵兵にだって自分なりの正義があって、精一杯戦っていたのではないだろうか。


そして、この敵兵が撃ったアンドレが
オスカルの大切な人だったのと同じように


オスカルに撃たれた名も無き兵隊にも家族や愛する人がいたのではないだろうか。



『名も無き英雄になろう』
と言った原作オスカルは
まるでジャンヌダルクのようで格好良いがアニメのフランス革命に飛び込んだオスカルは現実世界にも共通するようなリアルな戦争体験をすることとなる。


アンドレの死がショッキングなので、
もちろん意識はそちらに行ってしまうが
この短いシーンにはそんなメッセージもあるような気がする。


主人公オスカルが人命を奪う、という
演出も衝撃的だったのではないかなぁとは思うけれどそれも含めて
この男臭いこの監督なら、この辺のテイストを一瞬臭わせる演出をしてもおかしくはないだろう。。。

そう思う。

(フェルゼンが戦争から帰ってこなくてやきもきするオスカルを表すシーンに、遺族に遺品を届ける名も無き兵隊の姿を加えるくらいなので、なおさらそう感じます)







一方原作のオスカルの発砲シーンは?
というと


ドゲメネとは一発触発!しかしアントワネットの計らいで結局決闘には至りませんてした。


黒い騎士の時に
発砲するもベルナールには当たらない。
でも馬に当たったのね。
落馬した直後なのによく当てられたものです。さすがオスカル!銃の腕もたつ。

ちょっと馬かわいそう。


そしてベルナールの家に潜んでいた
サンジュストのただならぬ気配を敏感に感じ取っていたオスカルが発砲。


運良く当たらなかったよう。



そんなものかな。
オスカルの発砲シーン。



他のキャラクターは、と言えば

オスカルの結婚話の時に
『空に向けて撃った!!!』
と、アンドレが苦しみのあまりこんな言い訳をして発砲したことはあったけど
人には当てないのよね。


(フェルゼンも平民に襲われたオスカルとアンドレを助けるときに空に向かって撃ってました)



逆に原作で人に銃弾を人に命中させるのは
ドゲメネ。

幼いピエール坊やをだまし討ちする。





そしてもう一人。









ロザリー笑!!!



まさかのロザリーという。



オスカルを助けるために引き金を引きました。そして見事命中!!!


身を呈してオスカルを守ったアンドレとは対照的に、ロザリーは攻めの姿勢でオスカルを守った。


逞しい、ロザリー。

泣き虫ロザリーだなんて言ってられない。
油断してたらウタレルカモシレナイ!笑


ポリニャック家からパリへ、そこからオスカルと奇跡の再会を果たして再びジャルジェ家に出戻ったロザリーはオスカルを黒い騎士から守り、ベルナールと結婚し、王妃の最期の時まで彼女の側で仕える。


ベルばらキャストの中で
ロザリーほど、ミラクルな人生を歩むキャラクターはいないなー、と感じていたけれど母を殺したポリニャックへの復讐心から習得した銃の技術を主人公オスカルを助けるために使う事になるなんてこれまたミラクル。




発砲シーンについての話に戻るが、
先に書いたアニメでアンドレとアランが
サンジュストの手下のテロリストに襲われたオスカルを助けるため発砲するシーン。

オスカルはこのテロリストの大男を生かしておくつもりだったのだが危険を感じたアンドレとアランが発砲。
結局この男は死んでいる。


原作のオスカル、アンドレ、アランは銃で撃たれることはあっても人を銃で撃ち殺したことはない。



しかし、
アニメのオスカル、アンドレ、アラン3人がそれぞれ正当防衛とは言え、
人を撃ち殺した、とする演出は少女マンガの概念からするとかなり大胆。
敵はモンスターや悪魔ではなく、
『人間』。
オスカルを正義として見ると彼らは敵ではあるけれど決して悪者ではない描かれ方をしている。

(オスカルを襲った男は悪者顔なので損してますね。オスカルが7/14に平民側に加担することを知っていれば襲わなかったかもしれない。・・・ぁぁ、でもアニメサンジュストの手下だもんなぁ。)







そんな私は、というと

ショックを受けたか?
それとも発砲するオスカルを受け入れたか?


不思議と、どちらも冷静に受け入れる事が出来るのです。


原作のオスカルが戦いのシーンで人を撃ったり斬ったりしないで革命に向き合うことに不自然さを感じないのは、オスカルの
正義感と素晴らしいリーダーシップ力が
既に読者に興奮と満足感を充分に与えているからなのだと思うし


アニメがリアリティーのある展開に演出されていたあの状況だったのならば彼らが
発砲するのは当然の流れだと思えたから。

(実際に革命は華々しいものではなく、血生臭い戦いになりうるのだしね。)


出崎監督が、オスカルをこんな血生臭い戦いに出撃させたのは
池田理代子のベルばらの世界観に更なる可能性を想像させた事と、
オスカルならばこのような現場でも原作とはまた違う格好良さを引き出せる!というキャラクターの魅力を感じたことが理由なのではないのかしら。


世界観とキャラクターの魅力。
もともとこれが無かったのならば
アニメのベルばらは原作通りの展開になっていたかも知れません。


連載が終わって何十年も経つのに
今でもベルばらのアナザストーリーを
二次創作として作り出す方がいるのは
この魅力の仕業なのでしょう。



ビバ!池田理代子!








そしてここからはベルばらを離れた
独り言なので、超余談です。




原作者=池田理代子氏は女性。
ベルばらは少女マンガなので、銃や剣は
オスカルのカッコいい姿を描くための
素敵な小道具として登場します。
それで充分、こちらとしては満足。
少女から見て剣や銃の性能や激しい戦闘シーンは必要ありません。
宝塚においてもオスカルの戦闘シーンは
ラストサムライのような殺陣をガッツリ
見せる物ではなく、
剣を片手に舞う華麗なダンスという演出。
(銃で撃たれるシーンに至ってはリフトされてイエスキリストのような姿になっています)
本格的な殺陣よりもむしろ、
その方が良いのですよね、女子にとっては。
そして女子は妄想力が優れているので
ダンスするオスカルを見るだけで、
その華麗な戦いっぷりとバスティーユ攻撃の激しさを感じることが出きるのですねー☆



しかし、ベルばらが少年マンガであったならまた話は別。
戦闘シーンはガッツリページをとって見せた方が良いだろうし、武器の性能や繰り出す技にかっこいい名前が付いている方が当然ウケるだろうな。


昔夢中になって読んだマンガでいうと
るろうに剣心では、主人公の持っている武器そのものが、主人公の生き様になっていたり、戦い方や武器自体にそれぞれドラマがあるものが多い気がします。
戦いを通して人生に大切なことを学んだり得たりする。
(故に彼らは常に戦っていないとダメなので、とりあえず旅をするパターン多い気がします。新しい地で新しい敵と戦い、出会いと別れを経験し人として成長する)


それに対して少女マンガでは
例えばひらめき電球
セーラームーンでも沢山の武器(かわいいステッキ)が登場。技の名前もたくさんあるけれど主人公がステッキを一振り、キメポーズと呪文をとなえれば敵は
ギャーッと退散します。
彼女らは『愛のパワー』とかを使って
内面的なところで敵を倒そうとするのですね。
ぶっちゃけ敵を倒す戦闘シーンが無くても既にストーリーは成立しているそれが少女マンガ。
ステッキはストーリーを先に進めるためのアクセサリー。
(セーラームーンは大好きだったけれど
戦闘シーンは雑な印象。笑)

そもそも少女マンガで、魔法アイテムではない武器=銃とか剣の出てくる作品を、
私あまり知りません。



私は沢山マンガを知っている方ではないけれど、こんな風に感じました。



これを上手く活用し、今まで幾度となく
再放送&リメイクされてきたのが

水戸黄門 


(ベルばらネタでは太字とか使わないくせに、水戸黄門で凝る・・・笑)

アニメでも、少年少女マンガでもなく、
時代劇を例に出します笑



☆悪い人に苦しめられる弱い立場で、
しかも困っている人が登場それを助ける
主人公メンバー。悪者が毎回登場
(人間関係がとても解りやすい)


☆ホロッとできる人間ドラマのエッセンス も忘れない
(ささやかな感動を得られる快感)


☆毎回困ったときは印籠を出す、そうすると一旦は敵がひれ伏すというお約束
(少女マンガで言うところの魔法のステッキの役割。こんなの見せて悪代官がひれ伏すかねぇー、と思うけど毎回一旦は黙ってくれる)


☆しかし、印籠を見せつけられた後に
『えぇい!かまわん!やっちまえ!』
と悪代官。結果チャンバラ騒ぎ。
一旦落ち着いてたくせにとりあえず再度暴れる。
(少年マンガでいう、正義は勝つ!をこの戦いによって立証させる役割。そして
男子は大好き戦闘シーン)


☆最期には絶対に正義(主人公)が勝つ!
(これが大前提にあると、子供から大人まで安心して見ていられる)


☆まだまだ旅はつづく!というシーンで幕。
(だいたい毎回の放送が上記の段取りの繰り返しとなるが、問題が解決されて長閑な日常がかいま見れることで、次回の事件もまたフレッシュに見られる=アンパンマンとかね。)






この番組、
男女それぞれが見たい展開をぎゅっと一つにしてるように思います。
(更に言うなら老若男女楽しめる)

素晴らしい!!!
水戸黄門!!!




全然ベルばらの話から反れて
何故か水戸黄門で終わるという、
本日は自分でも思ってもみない展開となりました。