はじめまして
ルアンのブログを読んでいただき
ありがとうございます。
ルアンのプロフィール
氣功ボディメンテナーとして
病気や体調不良をケアして15年。
のべ40000人施術してきました。
北海道の冬に生まれ、
白銀のマイナス20度の世界で育つ。
虚弱体質。小学一年生で
難病の小児リュウマチが発症。
小学校は半分くらいしか通った記憶がありません。
友達ができないのでひとり遊びが得意。
当時飼っていた犬に「お前は元気でいいね」
と話しかけてた。
からだが弱かったのでヒーローに憧れて
強くなりたいと願ってた。
妄想大好き虚弱少年はマンガの影響で
超能力に夢中になる。
普通の虚弱少年なので
何かが目覚めた訳でもなく大人になった。
18歳から25歳の期間は日本を旅した。
入院生活の反動か地元を離れて
知らないな地域を見たい。
その気持ちの答えが旅。
無計画で飛び出しバイトしながら日本を巡る。
日本を旅してよかった。
旅をしながら超能力欲は継続中
ヨガや瞑想など修行するようになった。
ずっと旅生活もしてられないなと思い、
25歳、営業職、サラリーマンになる。
そこはブラック企業だった。
休みはあっても無い、
朝8時〜夜23時は当たり前の会社。
初就職だから普通だと思い込んで
楽しく働いていたけど、
からだを無視して働いていた。
4年経った頃
ひどい腰痛になり病院に行くと
「股関節の骨が足りないね」と言われ
えっ???
先天性変形性股関節症と診断される。
「今なら自分の骨を移植して治せるよ」
と手術を勧められて
29歳で両足の股関節を手術する。
これで楽になる!と思いきや
手術の後遺症で足が痛い!!
3年杖のお世話になる。
仕事がまともにできず歩合制のため収入が激減。
そこに、事業縮小で勤めていた営業所は閉鎖
退職
からだ不自由、貯金なし、借金あり、職はなし。
笑うしかない状況になる。
ここがまさに転換点。
強制終了で次のステージへ。
足の痛さを治したいと思い初の整体へ行く。
病院以外は信じないほど病院信仰だった。
しかしこの足の手術で病院は
「手術は成功しているのであとは慣れてもらうしかないです」
「もうやれることはないです。痛み止め出しますね」
見捨てられた気持ち
病院信仰が崩れる
フリーペーパーで整体の広告が気になり、
恐る恐る行ってみた。
藁をもすがる気持ちだ。
いざ施術を受けてみると
あれ?
楽になってきた。
が最初の感想。
そこで整体を習えると書いてあった。
今は無職、そうだ!整体師になろう。
虚弱少年がからだを治す世界へ
入って行くことになる。
まさか自分が健康関係の仕事をするなんて。
小児リュウマチだった頃から見ると奇跡。
習った整体の仕事はいざやってみると肉体労働。
からだを治す仕事なのに自分が壊れる。
自分で自分を治せない手技だったので
スタッフは体調を崩して辞めていく。
これは違うと矛盾を感じる。
その上パワハラ社長だった。
ここもブラックかよ。
務めて3年
自分のお店を持つ機会に恵まれ独立する。
氣功の師匠に出会い人生が変わる。
「世間の常識は非常識」と教えをうける。
今までの価値観が180度変わった。
空は飛ばないが
求めていた世界に出会った。
自分の価値観が固まっていることを知る。
コップを握って持たない。
力を使わない。
筋肉を分割して動かす。
自分の世界には無かった思考。
力を使わないで押す。
押すには力いるでしょ。
そう思っている瞬間にフワッと後ろへ押される。
未知の体験にワクワクする。
氣功で難病が治る世界
いよいよ
氣功のステージスタート
氣功に出会ってから15年
多くの方を診ることができました。
脳梗塞で1年寝たきりだった方が
歩けるようになった。
不妊治療をあきらめようとしていたら授かった。
メニエールが治った。
虚弱体質が変わった。
死の淵から生還した。
(私の父親ですが別に書きます)
余命数日の父の話し
ルアンの人生はからだの苦しみを経験
からのスタートでした。
その経験があるからこそ
分かることもあります。
ルアンのように難病を経験しても元気になれます。
これからも出会えた皆さんに感謝をして
役に立つことを発信していきたいと思います。