子どもの頃からわりと
両極端な思考や行動の環境を見る機会が多くあったように思う。
どちらかというとボケーーっとしていた子どもの頃は
極端な状況に身を置くことになっても
心の芯(軸)にはそれが届いていない感じだったと思う。
(自分の出来事なのに、どこかで人ごとのような・・・)
その時の私の心の有り様をうまく表現する言葉が無いのだが。
教育系の大学に通っていたときに心理学を学んで
子どもの頃の私はもしかしたら
ボケーっとして、無意識的に自分を理解力が薄い状態にすることで
どこかで心を守っていたのかもしれないなぁ~
と思ったりした。
社会人になって、色々と経験する中で
後天的に、お仕事においてテキパキ出来るように努めたり
理解力を高めていくように努めてきて
今は、子どもの頃がボケーっとタイプだったとは思われなくなってきたけれど。
昨日は春分の日。
ここにきて
あらたな人生勉強の段階になってきた。
2月から今月にかけて
起きた出来事とか
それによって身を置く環境の変化とかがその兆し。
テキパキとか、理解力高めていけるよう努めてきた自分の中で
どうしても苦手なタイプの人がいて。
私の人生の中で必ずと言っていいほど、どこにいっても
どの仕事の現場でもそのタイプの人が現れる。
しかも、ガッツリと関わらなくてはならないポジションに
そのタイプの人がいる。
もう、分かっているのだよ。
私の魂の最大の課題は、そのタイプの人を通して
自分の中にある向き合わなくてはならない自分の中の感情があり、
ずっと、ずっと、ずーーーっと、どこかで逃げてきたということを。
分かっているのだよ。
それは、子どもの頃の
ボケーっとして生きていた頃にも通ずる
私の中の感情。
人生で出会ってきた数々のそのタイプの人たちが悪いのではないのよ。
究極は。
そのタイプの人を嫌うことで
本当は向き合わなくはならない自分の感情から
目を背けてきたのよね。
うん
とうとう、そこと向き合い、本当の昇華をする段階へときたように思う。
もがくわぁ
イライラもするわぁ
なんでだよ!って思ったりもするわぁ
そのタイプが何をしても何をやっても
心が凪いでいる日と
イライラ、イライラする時と
感情が行きつ戻りつしてて。
その振り幅が、今はまだ大きいように感じる。
さてさて
どうなるかな
この人生の大きい課題への挑戦は。
ずっと昔から
心の軸に「中庸」「中道」「調和」を掲げて
それを本当の意味で体得したい
そして体現したいな
今日の記事は
覚書のような感じ