大晦日です。
おせち作りもひと段落して。
ほっと、一息中。
2023年、色々あったな。
今年ラストのブログ記事は
昨日の記事
の続きにしよう。
保育の場面で「息を合わせる」ことって?
私はあると思ってます。
例えば・・・
1歳の子どもが手先遊びをしているとき。
(例えば、ぽっとん落とし)
それぞれの月齢やそれぞれの育ちの段階で
子どもが集中して遊んでいる姿を保育士が見守っている場面。
いつも遊んでいる物よりも
少し難易度が上がったぽっとん落としを
苦戦しながらも集中していて、「ぽとん」と入った瞬間。。。
保育士が先に
「すごーい!!〇〇ちゃん!できたね!!!」
と、過剰なまでの「できたね、すごいね」の声掛け。
(なんだったら、拍手までしちゃっているパターン)
うーーん。。。
この声がけ、いるかなぁ?
って思うの。
挑戦していた子どもの姿を、ずっと見ていたからこそ
保育士が「出来たこと」に嬉しくなっちゃって
(気持ちが同じなっちゃって)
思わずテンション上がっちゃうこと自体は分かる。
でもね
できなかったことが
できた
その瞬間を味わうのは
まずは、子ども本人が先じゃないかな~~
ぽとん、と入った瞬間に
子どもが入ったことを感じて
顔を上げて保育士(大人)を見た時に
子どもと同じテンションで
子どもの様子に息を合わせて
「入ったね」
などの、事実を伝える、それで良いと思っています。
もちろん、息を合わせる、が大切だから
子どものテンションが
「やったー!」
みたいに高い時は
(言語発達がまだこれからの乳児期の子どもでも
身体から「やったー」が出ている姿はあるから)
同じテンションでこちらも声掛けする時もある。
(声掛けだけじゃなくて、微笑むとか、「お!」という表情するとか
方法はいくらでもあるよね~)
「できたね!」
「凄い!」
「えらいね!」
という声掛け。
使い方を間違えて、使い続けていると
そののち、、、、、どうなっちゃうかは
子どもたちが事象で教えてくれる。
終わりなき「見て見てループ」になっちゃったり。
活動や生活習慣の行為の目的が
先生に褒められることにすり替わってしまって
(褒められることって、気持ちいいから。大人でもそうよね)
その活動が楽しいから、やりたい!
着替えや排せつなど、次はお散歩に行くから
トイレいかなくちゃ、汚れたから着替えよう
と自分で考えて、行動に移しいく・・・ではなくて
褒められたいために「やる」にすり替わってしまう。
子どもたちが自立できて
乳児期から幼児期、学童期、中学生、高校生、大人・・・
と、自分で考えて、行動に移していく。
困ったことや、失敗した時は、どうしたらよいのか、考えて、行動に移していく。
時には、誰かに「手伝ってほしい」と自分で言えるようにとか。
保育士は、どのような大人になってほしいのかをイメージして
そこから逆算して、乳児期の子どもたちから関わっている。
子どもそれぞれが元々持っている力、特性、気質、個性。
それを活かしながらも、社会性も身に着けて
自分の人生をわくわくしながら作っていけるような
そういう環境を作るサポートをするのが保育士なのではないかな
と、思っている。
だから
遊んでいるとき、生活習慣を身に着けようとしているときなど
子どもたちそれぞれに息を合わせた声がけをしていけるように
こちらも、人生学びを子どもたちからさせてもらっている感じ。
あ、もちろん。
保育士も人間だもの。
「あちゃーー、この声掛けはアカンかったかもー」
という時もある。
子ども一人一人の姿をよく観察しながら
息を合わせて
声掛けのプレゼンを毎日している感じ。
うん。
やっぱり、コミュニケーションって面白いよね。