今日のタイトル、呪縛って表現怖いですねぇ
保育のお仕事を始めて数年ほど。
(子どもに関わるお仕事自体は長年やってきましたが
保育のお仕事は新米さん、、、なんちて・・・笑)
保育の学びと実践をやっていると
自分の成育体験との向き合いに立ち戻るなぁ~と感じます。
(これ、様々な対人援助職に言えることでもありますね)
その一つに「話しかける言葉」があって。
子どもがお片付けや衣服の着脱
その他、様々なことをやっている時、
そのことが出来た時に何て話かけますか?
大人は何て話しかけると思いますか?
「すごいね」
「よくできたね」
「いい子ね」
などなどでしょうか。
これねぇ。
普通に言っている言葉ですよね。
そして、大人の私たちも子どもの頃に言われて育ってきた言葉。
この言葉をいっぱい言われていくと
子どもがどういう風になっていくかというと・・・
・片づけるたびに大人を見て「褒めて」という意思表示をするようになる
・褒められるために片づけや良いことをするようになり、褒めてくれる大人が周囲にいない時は片づけない。
・その行為をやる本当の意味を理解しないまま「褒めてもらう→いい気持ち」のループ行動となる
・出来ることが「いいこと」、出来ないことが「ダメなこと」という意識が根付く
・根付くと自分をそのものさしで見るようになるだけでなく
出来ない子(友達)を責めたり、「ダメな子」とレッテルを張るようになる
・出来ない私(僕)は「いい子じゃないダメな子」という気持ちを持つようになる
・・・・・
・・・
言葉の呪縛・・・
(もちろん、子ども全員がこうなると言っているわけではないです。
子どものタイプ、性質、キャラクターによっては
こういう風にならないパターンも、もちろんあります。
必ずこうなる、と決め付けて書いているわけではなくて
こういう風な傾向の側面があります、という意味です。
また「すごいね」「できたね」という言葉で話しかけることを
全否定しているわけでもないです。)
話を戻します。
このような傾向になる
これ、めちゃんこ私の成育体験と合致なんです。
自分の中の奥底にある自己評価が低かった私。
パフォーマーのお仕事を生業にしてからは
人前で話すこと、思っていることを伝えることを後天的にやれるようにしましたが
元々(子どもの頃からパフォーマーになるまでは)
人前で話す、人に思っていることを伝える、やりたいと思ったことをやる、ことが
全くと言っていいほど出来ませんでした。
理由は
人前で失敗することが物凄く嫌だったから
失敗する姿を見られることが物凄く恥ずかしいことだと思っていたから
人と違うことを思い、言うことはダメだと強く思っていたから
出来ないことはダメなことだと思っていたから
出来ることが少ない自分はダメな子どもだと思っていたから
くぅぅぅぅぅぅ
子ども時代の自分が今、目の前にいたら
失敗したっていいんだよ
出来なくてもダメじゃないんだよ
結果が出来た、出来ないじゃなくて
途中までだって、経過や経緯が大切なんだよ
と言ってあげたい
昭和生まれの私の時代は
家庭のしつけも学校教育も
結果を見て、出来る、出来ない、という評価型の教育で
大人のほとんどは無意識的に、そのような話しかけをしていました。
(中には結果のみに価値を強く持っていた大人もいましたね)
あ、評価型の他に比較型の話しかけもよく行われてましたよね~
「〇〇ちゃんはできるよ」
のように、兄弟や友達、親戚など同年代と比較されるパターンの話しかけ。
比較型も怖いよ~~~
ブルブルしちゃうよ~
その教育にどっぷりと浸かって育った私の自己評価の低さ。
そこに気づいた時に、若かった頃は
もう自分のダメなところなんて
見たく無いし、向き合いたく無いし、乗り越える自信無いしで
親のせい、親戚のせい、先生のせい、環境のせい、社会のせい・・・
あらゆる理由をつけて逃げておりました、向き合うことから。
(今振り返れば、ありゃりゃーな行為ですが。。。苦笑)
だいたいね、逃げてもね、今世の人生で向き合おうと思って生まれてきた事柄は
その時は逃げられても(上手くやり過ごせたと思っても)
そのうちまたやってくるもので
何年にも渡って、色んな事象、現象でやってきて
数年前に、もう、いい加減に自己評価の低さと向き合いますわい
と思えるようになり(タイミングありますね)向き合っております。
思春期の頃からずーーーーーっと思っているのですけど
言葉って
本当に取り扱いが難しいものですよね。
言葉でいっぱい失敗して
言葉でいっぱい苦労して
言葉でたくさん苦しんで
言葉でいっぱい嫌な思いもして
感情ギリギリの淵に立つことになった時もあるけれど
言葉に励まされ
言葉に感情ギリギリの淵から向こうに行かずに助けられ
言葉に愛をもらい
言葉に背中を押してもらった
取り扱いがとても難しいだけに
だからこそ
言葉の呪縛を生むのではなくて
暖かな言葉を出せる人になりたいです。