現在放送中の大河ドラマ。

(いきなり時代劇の話からスタート(^◇^))

 

私が知っている明智光秀の情報といったら

 

本能寺の変で織田信長を追い詰めた人

三日天下の人

 

くらいという有様(;^_^A

で、興味があって見始めたのですが、

俳優の皆さんが、役の魅力を体現されていて、

なかなかに見応えがあるのです。

 

中でも、織田信長を演じてらっしゃる俳優さんの演技が素晴らしくて。

 

織田信長というと

これまた私の知っている情報は

 

戦国武将

安土城

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と謳われた、エキセントリックな人

 

くらい。

 

織田信長は、何故に感情の振り幅が激しく、

残虐なまでの人物となっていったのか

(そういうエピソードがたくさんありますよね)

 

子どもの心理学を学び、子どもに関わる実践家として、

いくつか仕事をしてきて、現在、保育の世界に身を置く私としては

人の幼少期からの生育環境が心理におよぼすものや

行動の動機付けがどこにあるのか、

何故そのような言動をするのか(その背景はどこにあるのか)、

などを紐解く作業に興味があります。

まぁ、もともと、人間観察好きというか、趣味みたいな(笑)

 

で、今回の信長。

脚本なのか、演出なのか、は分かりませんが

生育体験として、親から褒められた経験が薄い、という描かれ方をしています。

(史実上もそうなのかは知らなくて。。。勉強不足ですみません。)

 

褒められる。

この経験は人格形成の時期において、

とても大切な経験の一つだと思います。

 

もちろん

親が子どもを、やみくもに褒められば良いわけではないですし

 

親側の褒める行為の動機付けがどこにあるのか、

も重要なポイントではありますが。

 (親の動機付けが「親にとって都合が良い」

  「親の主観による善し悪し」などからくる褒めは、どうかなぁ、と)

 

今回の信長は、父親、母親に褒めてもらいたい、認めてもらいたい、

僕はここに居るよ、見て、見て、見て!

 

と切望し。

親が思う褒めたいポイントと

信長が褒めてもらいたいと思うポイントが

掛け違っちゃって。

一つ、二つ、と掛け違うと、どんどん掛け違っていっちゃう。

 

信長にとっての欲しい愛が得られず枯渇し、

「何故くれない」、「何故、何故、何故!!」

枯渇を怒りに転じて育っていった、

と想像できるような、セリフや俳優さんの演技で。

 

俳優さんの表情、動き、雰囲気、空気、エネルギーの非言語的な演技の部分から、

悲しみ、切望、枯渇、怒り、みたいなぐちゃぐちゃになった感情が

画面を通して伝わってきて。

 

だからこそ、大人になっても、

その時その時で「大いなる存在」だと自身が思った相手から褒められたい、

認めてもらいたい、という感情を行動の動機付けにしている気がして。

 

妻に対しても、帝に対しても、明智光秀に対しても。

 

エキセントリックな行動をする場面のたびに

その動機付けが痛いほど伝わってきて

リアリティ溢れる演技は見ている人の心を掴む~

と、芝居好きとしては面白く感じてます。

 

 

人が起こす色んな事象を深く掘り下げていくと、

どれもが子どもの頃の体験に繋がっていく気がするのです。

 

子どもが幼少期において

親子の相性が、どうしてもマッチングしなかった場合の関係性は、どちらも苦しい。

血が繋がってるだけに。

(マッチングしない理由は、色々だと思いますが)

 

親のせい

環境のせい

 

で向き合うことから逃げる時があってもいいと思うし

気付かないまま

もしくは

気付かないふりのままがあっても良いと思う

 

でも、まぁ、必ず、そのままで生き続けることは出来ない事象が自分にやってくる。

 

その時に

向き合おうと素直になれるか。

 

誰かの何かのせいではなくて

怒りや枯渇や悲しみを原動力にしている自分と腹をくくって向き合って

 

辛かったね

悲しかったね

頭きたよね

褒めてもらいたかったよね

認めてもらいたかったよね

頑張ったよね

 

そうだよね

 

って、自分で自分を受け入れて、愛を持ってぎゅっと自分を抱きしめる。

 

自分を大切に出来るのは

まずは自分だから。

 

信長はんも、自分をぎゅっと抱きしめて、

辛かったね、頑張ってきたねって自分を褒めてあげたら、

妻も帝も明智光秀も離れていかなかったかもしれないのに、

って思った自粛の夜でした(*´∀`*)ノ

 

あぁ、今日の記事は、えらく長文ですねぇ。

語ってもうた( ´艸`)