息子は2018年秋より学校に通えないまま、2019年春 中2になりました。
息子は、起きている間は何らかの形でインターネットに繋がっていますが、この8ヶ月間、ゲームや漫画ばかりというわけではありませんでした。
不登校や引きこもりについて自分の状況をネットで調べ(インプット)、某掲示板サイトに寄せられた不登校への悩みに回答を書き込んだりもしていました(アウトプット)。
まだ不登校初期の頃は、ネットで何をしているのか様子がわからない部分も多く、心配でした。
特に、昼夜逆転の夜。
そして当時、親として何よりも恐れていたのは、自暴自棄による自傷行為に走ることでした。
そんなある日、息子が私のスマホを何やら操作しました。
息子が書き込みをしている掲示板サイトの会員ページをアップして、「はい」と私に渡しました。
私は息子が夜型パターンになると、その掲示板を閲覧しました。
掲示板では、息子のように悩み答える子どもたちが、様々なカテゴリーの中でひしめき合っていました。
あるとき、同じ学年という子が死にたいと掲示板に書き込んでいて、それに息子が答えていました。
「死ぬ必要はないと思う。
人には必ず得意なことがあるはず。
僕もまだ出会えていないけれど、好きなことが同じという人には出会えると思う。
そして、あなたが生まれてきたことには必ず意味がある。
それを無駄にすることはない」
ウマレテキタコトニハ
カナラズ イミガアル
これを読み、息子は大丈夫、生きる苦しみを抱えているけれど 生きる道も探している、と思えるようになりました。
カウンセラーさんには、息子はまるで自分に言い聞かせているようだ、と言われました。
2018年12月半ばのことでした。
息子の掲示板への書き込みは4,5ヶ月続きましたが、更新は徐々に間遠になり、Twitterへと自分の表現の場を移行しました。
ある日、息子は私のスマホから掲示板サイトを消しました。
息子のパスワード等は記録していなかったので、それ以降、私は掲示板を見ていません。
しばらくしてから、まだ書き込みしているの?と尋ねると、もうとっくにやめた、と返事がありました。
けれども、その間も息子は揺れ続けていました。
自傷行為とは違う方向に、息子は進みました。
葛藤から生まれるやり場のない気持ちは、「攻撃」という形で母へと向けられました。
夫と私は、息子を信じました。
いえ・・・私はたびたび崩れそうになりました。
何度も膝をつき、手で顔を覆い、泣くまいと唇を噛んでも歯を食いしばっても、涙が止まりませんでした。
支えは、
夫
ペット
折々に触れる小さな笑顔たち
経験された方たちの不登校ブログ
そして立ち上がることができたのは、
かけがえのない息子の存在そのものがあるからでした。
今日も読んでいただき、ありがとうございました