私の活動のひとつ【つながり茶話会】
について今日は書きます。
 
やっと少しづつ人繋ぎ、共感繋ぎが形に
なって参りました。
 
今年5月15日に第一回目の
陸前高田市・大船渡市
「開華チャリティセミナー」を終えて
 
今月11月25日 18:00開場 18:30〜
第二回目 「開華チャリティセミナー」が
もう少しです!
 
詳しいイベントページはこちらです。
 
 
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今まで
なかなか津波の事や両親のことを
ブログに書く事が出来ませんでしたが、
当時私が感じた事を
やっぱりここに記したい。
 
今の瞬間の事を大切に歩んで行けるのは
この出来事によって私が感じた
想いがあったからこそ。
 
 
あの日から変わってしまった現実の中で
生きて歩んでいることが本当に
すごい事だから。
これは被災地の事だけではなくて
私たちすべての人が学ぶ事であるのだから。
地球レベルの危機でもあると私は思うから。
 
 
 
私の生まれ故郷は陸前高田市。
津波で実家は流されました。
当時、数日間家族との連絡は取れず
眠らず家族、友達、親戚の捜索を、
ネット、ラジオにかじりついていた頃が
まだまだ鮮明に思い出されます。
 
 
大好きな海が、一瞬で街を呑み込んで
本当に大きな大きな信じがたい出来事で
なんとも言葉が出てきませんでした。
 
 
実家大丈夫か?連絡取れたか?お前大丈夫か?
私の知人にあたたかい言葉をかけられるたび、
内心大丈夫じゃないけど、きっと大丈夫です。
と答え、正直、喪主は私だろうか?兄だろうか?
葬儀なんてできたものでもないし、
行方不明者の数字が多すぎて、どうなるんだ。
遺体は見つかるのか?
何か相談したい時にもういないのかな…
などという事まで考えていました。
 
 
幸い私の両親や親戚は無事でした。
でもたくさんの知人が亡くなった事や、
遺体置き場で身内を見つけるため
一人一人の確認をしたという同級生がいたり
後々から聞く話や状況にも
本当にショックでした。
 
 
当時私が出来たことは、必要な物資を
送る事。駆けつけて何でも手伝いながら
家族に再会したいと思っても
現地に行くにはかえって迷惑になってしまう
情報があったり、ガソリンの問題
1歳の息子を家族に預けていく事もあり
 
 
何も出来ない歯がゆさしかありませんでした。
子どもを預けて5月にやっと地元に行った時
変わり果てた風景に…なくなってしまった
街に、言葉が出なかった。何も話せない。
でも両親は笑ったりして、
もう起きてしまったことに
うだうだはしていなかった。
 
 
夜、家族の誘導で実家だったところに着いて、
流れた実家で唯一残った土間コンの上にある
6畳のプレハブに車のライトで照らした。


鍵を開けて、まだ頻繁に地震はある時で
津波が来たらすぐ逃げられるように
車は発信する方向をに止め直します。


外は真っ暗で、綺麗を通り越して
気持ち悪いくらいの星空に驚きました。
 
 
本当に真っ暗で真っ暗で…
こんなに暗い風景は、本当に怖かった。
これだけ暗かったら、夜は寝るものと
みんな身体を休め平和だろうなとも
思いました。
 
 
ポツンとあるこのか弱い6畳のプレハブ。
まだこの時暗くて瓦礫を観ていたわけでは
無いけど、真っ暗な世界にこんなに
きゃしゃでも守ってくれる箱がある事は、
心強く、生きる場所であるという存在感でした。
あまりにもあるべきものがない世界だった。
 
懐中電灯を持ってプレハブに入り
発電機を作動させて、
1個の電球がピカーって光った途端…
 
 
何て明るくて、あかりがこんなに有難いもの!
なんたる希望のヒカリ!!
 
思わず、ついたー!って拍手して、
母、父と私の3人でこたつで温まる事が
できる事、またこうして3人で笑えるこの瞬間
に本当に幸せを感じました。
 
2012.4.30日の写真 プレハブのお家
 
 
流されて失ったものは計り知れないけれど
これからの生活や具体的な事を置いておいて
笑いあえるこの瞬間の幸せを味わう事は
本当に命あるものの特権です。
亡くなった方もきっと一緒にその幸せを
味わっているはずです。
 
 
当時発電機を使えた事も奇跡的な事でした。
夜はこたつでみんなでごろ寝。
お化粧を落とす事もせずそのまま寝ました。
 
 
まだ頻繁に地震はあって、その夜も
小さな6畳のプレハブは下から地響きのような
揺れが有りました。映画のような世界だけど
本当にこれが現実なんだと
今までに感じた事がない感情でした。
 
 
次の朝、ライフラインの途切れた町に
このお日様の有難さに
どれだけ感謝したでしょうか。
 
 
そして明るくなって見た景色にまた
想像以上の変わりように言葉を失います。
木々やその辺り一面には色々な物が引っかかり、
大きな壊れた家具がゴロゴロしている。
船らしきものや、海の道具やら色々な物だらけ。
 
 
そしていよいよ、トイレに行きたくなり
トイレどうしてるの?と私が聞くと
 
ちゃんと有りますよーと笑う父と母。
この2人は昔から笑いが絶えない。
(^_^)
商売を失敗して私まで苦労が
派生してきたと言うのに
 
『るっちゃん、貧乏でも心は貧乏になるな!』
『苦労はかってでもしろっていうだろう』
 
と父はユーモアに言ってるんですから!
お前が言える立場か〜!と親子漫才する程です
 
 
そしてトイレはこちら…
360度青空トイレへつづく…