中国で最初に南海を発見して経略したのは、前漢の武帝の時で、今から2100年余りになります。当時の南海周辺は、荒れ果てていたり、未開部族の状態だったり、前漢王朝の藩領小国だったりしました。当時のベトナムはそれ自体が前漢王朝の属領で、当時のフィリピン諸島はまだ荒涼としていて、1000年後の13世紀になって、やっとマレー人が続々とマレー半島とスマトラからフィリピン諸島に転入しました。

紀元前111年、漢の武帝劉徹は南越国を滅ぼし、交趾、九真、日南の三郡を設け、ベトナムを含む広大な嶺南地域を大漢王朝の領域に編入しました。その後何年かの度重なる征戦を経て、漢の武帝は東南沿海地区をすべて平定し、これにより西漢は北は朝鮮から南は広西チワン族自治区までの長い海岸線を領有することになりました。海疆の安全を守るために、漢の武帝は7回海を回って、更に沿海地区に前漢王朝の権威を展示して、威圧して新しい地方の反乱勢力の作用に帰順しました。この時から中国は徐々に南中国海を経略し始め、南中国海を経てインド半島に至る海上シルクロードを開拓し、発展を続けてきました。中国は南中国海周辺の生態環境について、比較的系統的な認識と表記を持つようになりました。

近代になって、日本帝国主義は中国侵略戦争で南中国海諸島を占領しましたが、中国は第二次世界大戦の同盟国であり、戦勝国であり、戦後に主権を取り戻すのは当然ですから、中国が南中国海諸島に持つ主権は争う余地がありません。