昭和元禄落語心中 1・2巻 | Dreams come true

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大切な人たちが支えてくれるから病んだとしても私はいられる。
だから、どんなことがあっても私は私のまま。
誰かの顔色気にせずに歩こうよ

お久しぶりでございます。

 

昨日、友人に借りていた昭和元禄落語心中の1.2巻をやっと読破いたしました。さすがに借りるだけというのも申し訳なく、私は今ひぐらしのなく頃にを貸し出しています。

 

落語は一度見てみたいなぁと考えているのですが、なかなか時間と場所に悩まされ早何ヶ月(え)。それもあって、少し読むのに時間がかかりました。あ、体が落語に追いついていかなかったのです…とほほ。

 

特になのですが、与太郎が一度破門されたシーンの師匠のお言葉は身に沁みました。私自身、長く何かを表現することに携わっています。といっても習い事や委員会、部活として、ですが(笑)。与太郎のように、尊敬する方のお芝居の前で寝ることなど断固としてありえない事です。血のにじむ努力を一瞬にして踏みにじられたような気分になると思います。私も、一生懸命舞台に立っている際に、寝ている方を見ると少しめいります。

 

落語ってとっても面白いですね。

 

上半身しかほとんど動かさないのに情景がくっきりと目に浮かぶ。そこに見えるのは共通した景色。言葉運びがまたきれい。

 

ライバルであり切磋琢磨できる仲間がいること、お互いが本気でぶつかることのできる存在がいることも何よりの幸せだと思います。

現代はなかなか人間関係に苦戦する時代です・・・(笑)。

だから、本気でぶつかりたいのに怖いという気持ちが先に出てしまうのです。「私はめんどくさいが口癖な人が嫌いだ」などきちんと言えたらいいんですがなかなか言えずにいます。「漫画いつ返してくれるんだ!忘れてるだろ」なども。

 

ただ、助六さんと師匠のように、与太郎と師匠のように尊敬する人、切磋琢磨できる仲間がいることといないことでは随分と表現が異なる落語になるのではないかなぁと思います、勝手にですが。

近くにいるから、自分の足りない部分を生で感じ取ることができる。近くにいるから、すぐに意見を言える。近くにいるから、努力を学ぶことができる。落語心中に出てくるような人間関係にすごく憧れました。

 

少し、私のお話をしますね。

実は今、学園祭に向け劇の練習をしています。脚本は全て私が作りました。また、劇の経験者は私一人しかいません。

7人で、全員キャストで頑張っております。ただ、仲が良いとはいえど、ここ直した方がいいということをすっと言えるような存在ではありません。全てに全力で、本気で向かい合うような人たちでもありません。めんどくさいが口癖であったり、嫌だやりたくないが口癖であったり…。

人の性格を変えることは不可能だから自分が変われ、なんていう言葉をよく聞きますが、ネガティブな方向に自分を向けることを怖がっている自分がいます。

こんなだから、私が本気でやりたい!という気持ちがいつも空回りしているのです。

 

落語心中を読み、本気でやることの大切さを学びました。アドバイスを受けることの喜び、幸せ、大切さも学びました。

私は良かれと思って本気でぶつかります。

欲を言えばずっと演劇のことを考えていたいほどの演劇好きで面倒くさいやつです(笑)。

ただ、私にアドバイスをくれる人は1人もいません。

いや、社会に出たらそんなもんだ、と言われるかもしれませんし、お前が経験者だからだ、と言われるかもしれません。

ただ、演劇は団体戦。ネガティブな人を、本気ではない人を一人で引っ張っていくのは正直荷が重いです。まずは表現することに興味を示してもらうよう努力するしかないのかなぁと思う次第です。あと、本気でぶつかるという意味をきちんと伝えるべきなのかなぁとも。

 

愚痴になってしまいました、すみません。

 

話を昭和元禄落語心中に戻しますね。

 

落語というと歌舞伎のように男性社会のように感じます。師匠の姉さんに対する言葉からも分かりました。

 

男性と女性では感じ方も違うし、声の出し方も違います。

ただ、表現する世界は男性が優位のようにも感じます。歌舞伎や能、落語に代表されるように。

だから、宝塚歌劇団のような女性の舞台もこれから増えていってほしいなぁと感じました。

もちろん、落語素敵です。惚れました。昭和元禄落語心中とても面白かったです。だけど、女性目線のみで語られる舞台が見たいなぁという欲が生まれました。

 

それでは。