『死ねー!!!』と車内で全力で叫ぶ。
『死にたい。 死にてぇ~(-_-)』と便座で溢す。
理不尽な苛立ちに、『殺すぞ!!糞!!!!』と殺意に満ちる。
そのベクトルが本当に向かう先は、自分が一番、よく分かっているつもりです。
心の通じることができない『お母さん』
助けの手を伸べる勇気に至らなかった『お父さん。』
虐待加害者であり、私を嘲笑しつづける『長男』
加害者であり、私への罪の意識を持ち続けた『姉。』
子供も孫も、肥溜め・吐き出し場にした『おばちゃん』
早くに実家から距離を取った自立新旺盛な『次男丼。』
自由人というか、ただのわがままだった、亡くなった『じいちゃん丼。』
彼らへの訴え。
彼らへの気持ち。
それが、希死念慮であり、殺意なのです。はい。。。
そして、
今の人生の時間の一番多くを占めている『諦め』の感覚。
本当に、
無気力だし、
どうでもいいし、
バカらしいし。
私は、
私がしたいことをまたするために生きてるのです☺️
また音楽を聴くために、
また邦画を観るために、
また好きな声優さんの声に満たされるために、
大好きなこの町の海に触れるために。
眠るために。
誰かと心ごと、お互いにハグし合うために。