創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ
蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。
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冷たい石畳の上に純白の雪が降り積もる。朽ちた壁や柱には焼け焦げたあとと刃物によってつけられた無数の傷が残り、かつてそこで惨劇が起こったことを如実に表していた。
メブミードは三本のろうそくを立てた燭台を手にゆっくりと歩いていく——一体どこへ向かっているのか、そもそもここはどこなのか彼にもわからなかったが、ただ「行かねばならない」という気持ちだけが胸を締め付けていた。行かねばならない。どこへ、何をしに?
冷たい雪の中に黄金色の花がぽつりぽつりと咲いている。花が咲くような季節でもないのに奇妙だなと感じたが、名の知らない花であるため冬に咲く花なのかもしれないとも思った。小さな花びらが幾重にも重なった豪奢な姿は白い雪の中ではより鮮烈に映るものの、冷たい風を受けて揺れる様子はどこか悲し気にも見えた。
「待って」
後ろから誰かが呼び止めた。聞いたことのない若い女の声だ。
「一緒に行きましょう。あなたを必要としている人たちがいるの。力を貸して」
「人間、ですか……」
メブミードは足を止めて振り向きもせずゆっくり言う。白い息が冷たい風の中で舞い、美しく揺らめいたかと思うと次の瞬間に消えてなくなる。まるで、人の命や幸福のように。
「私はもう、人間と関わらないと決めたのです。ただ静かに、誰にも邪魔されず、ここで祈りの日々を過ごす。何百年、何千年も私はそうしてきました。もはや人間は私を忘れ、私ももう二度と人間を愛さない。どうかそっとしておいてください。悲しみと絶望を繰り返したくはないのです」
「嘘よ。あなたが人を愛していないなんて嘘。もし本当に人を愛していないのなら、あなたは祈ったりなんかしない。悲しんだりしない。あなたは人を愛しているからこそ、ここにいる。そうでしょう?」
コツコツと靴のかかとの音が響く。悲しみと静寂だけが降り積もる冷たい世界の扉を叩くような音。
「バラが咲いていた。小さな聖堂の箱を囲むように、真っ白なバラがたくさん。一目でわかったの、ここはこのお城の中で一番神聖な場所。そして、お墓なんだって。あなたにとって大切な——」
「わかりません。もう思い出せないんです。あの場所が何なのかすら思い出すことができない。ただ私は、あの場所を守らねばならない。だから私はここで祈りを捧げている。それだけです。私にはもう、それ以外何もないし、何もいらない。やがてすべてを忘れ、全てに忘れられ、何もなかったように消えていく。私の望みはそれだけです」
ここがどこなのか、どこで何をしようとしているのか、自分が何を話しているのか、メブミードには何一つわからなかった。ただ無意識に口が動き深い痛みを伴った声となってあふれてくる。女は何も答えなかった。
「あなたが私の許可を得ずにあの場所に入ったことは許します。ですから、もうここには来ないでください。さようなら」
冷たい言葉を残しその場を立ち去ろうとする——その時、熱い手がメブミードの腕をつかんだ。
「行かないで。そんな悲しいことを言わないで。何もないならこれから作ればいい。思い出も大切なモノも仲間も、これから作ればいい。だから……」
薄い衣越しに手の温もりがじんわりと染み渡る。その温もりは春の陽のように凍てついた心を溶かし、眠っていた感覚を目覚めさせていく。長い間忘れていた喜びという感情。
こっちを向いて——ミ……さ——ミードさ——
「メブミード様!」
名前を呼ばれ意識を取り戻す。ぼんやりとした視界が次第に明瞭になっていき、自分の名を呼んでいるのは今にも泣きだしそうな顔をしたアルヴだということが分かった。
「……アルヴさん?」
「ああ、よかった、このまま目を覚まさなかったらどうしようかと……」
メブミードはゆっくりと起き上がり、体に異常がないか確認する——特に問題はなさそうだ。一体どれほど気を失っていたのだろう。なんだか奇妙な夢を見たせいか、体が妙にフワフワしている気がする。
「メブミード様、大丈夫ですか?」
「すみません、もう大丈夫です。驚かせてしまいましたね」
メブミードがそういうと、アルヴは安堵の表情を浮かべたあと何かを思い出したかのように突然顔を真っ赤に染め、ぷいと顔を逸らしてしまった。
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