創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(18) - 祈りと願い

 

===========================

 

 一つの命がこの世に誕生し、一つの命がこの世を去った。こんな時は喜ぶべきか悲しむべきか、人よりもはるかに長い時を生き、幾度となく出会いと別れを繰り返しているメブミードもその答えをいまだ知らない。ただひとつわかることは、彼にとってこの別れは、これまでに経験したどれよりも辛く、この出会いは何よりも重いということだけだった。

 生まれたばかりの名もない赤子は、通常であれば三日程度過ごすことになる産屋をわずか一時間程度で去り、美しきドルイドの手によって自身の母の寝室に移された。小さな寝台に横たえられたその体はさらに小さく、指などサンザシの小枝ほどしかない。

「メブミード様」

 背後からアルヴの声がした。メブミードは心を落ち着かせるため数秒間目を閉じ、呼吸を整えてからゆっくりと振り返る——メブミードが投げ捨てた法衣と短刀を捧げ持ったアルヴ、キーラン伯、フラン伯、ロイド伯の四人が沈痛な面持ちで並んでいた。

「妃殿下はお世継ぎを私に託し、ご自身は遠き地へ旅立たれました。どうか、新しい命に祝福を、旅立った魂に労りの祈りを捧げてください」

メブミードはそういうとアルヴにそっと歩み寄り、小刻みに震える肩に優しく手を置く。栗色の大きな瞳は涙をたたえ、必死で押し留められてはいるものの今にも零れ落ちそうだ。

「あなたのおかげで私は後悔をせずにすみました。ありがとうございます」

 この場にいる誰もがギネヴィの死に心を痛めていたが、誰よりも深い悲しみを抱いているのは彼女だろう。飢饉によって家族を亡くし、自身も栄養失調で死に瀕していたところをギネヴィに保護され、侍女として働くという名目で衣食を与えられただけではなく、貧しさゆえに受けることができなかった“教育”も施された彼女は、ギネヴィを誰よりも敬愛し慕っていた。

「もったいない……お言葉です」

 アルヴは嗚咽が漏れるのをこらえながらそういうと、唇をかみしめて無言でうつむいた。おそらく彼女は、その悲しみを誰にも顧みられることはなかったのだろう。ギネヴィと彼女がどのようなどのような関係を築いているか知っているメブミードにとって、彼女はもっとも労わらねばならない相手だった。

しかし、それを知らない者にとってのアルヴはただの使用人だ。特に、貴族にとっての使用人は便利な道具程度の存在でしかなく、悲しいという感情があるとすら思われていないことすらある。三人の伯爵がどのような価値観の持ち主であるか定かではなかったが、彼らがアルヴに労りや慰めの言葉をかけられるとは到底思えなかった。

「これより祝福の儀を行います。目を閉じ頭を垂れ、口をつぐみなさい」

 メブミードが静かに言うと三人の伯爵は無言で目を閉じ、一礼するようにゆっくりと頭を垂れた。メブミードはアルヴの手から短刀と法衣と受け取りそれを身に着けると、ゆっくりした足取りで寝台へと歩み寄る。

なかの赤子は静かに眠っているようだった。メブミードは艶やかな黒檀と金の装飾が施された鞘から短刀を静かに抜き、自らの左手に刃を押し当ててゆっくりと引く——手のひらから零れ落ちるほどの血があふれ出し、石造りの床に滴り落ちた。

メブミードは抜き身の短剣をテーブルの上に置くと、手のひらを濡らす血を指先ですくい取り、赤子の額から鼻先かけて一本の線を引くようにゆっくりと塗りつける。

「我が名はベレヌス=メブミード。人の世にありて常しえの時を刻む者なり。我、この血をもって彼の者と盟約を結ばん。我は庇護者なり。あらゆる病魔、悪霊を退ける光なり。汚れなき魂を祝す者なり。我ここに、彼の者を永久に守護することを誓う」

 小さな声で静かに唱えると血が淡い光を放つ微粒子となり、陽炎のように揺らめきながら空気に溶けていった。それはまるで、メブミードの言葉が何者かに聞き届けられたことを示しているように。

「祝福の儀式は終わりました。顔をあげてください」

 メブミードが言うと、三人の伯爵はゆっくりと顔をあげる——その表情は世継ぎの誕生を喜んでいるようでもギネヴィの死を悼んでいるようでもなく、ただバイルン公の代理人としてここに立つ自分たちが、今後いかに振る舞えばよいか思案しているように見えた。

「メブミード殿」

 最初に口を開いたのはロイド伯だった。沈痛に見えてどこか忌々し気なその表情から、死の床に瀕したギネヴィが自分ではなくメブミードを呼んだことに腹を立てている様子がうかがえた。おそらく、メブミードがいなければ呼ばれていたのはロイド伯だったであろう。バイルン公が倒れて以来、執務の多くはロイド伯が取り仕切っており、バイルン公の代理人といっても過言ではない状態だったからだ。

「妃殿下がお世継ぎを託したということは、あなたを正式な後見に指名されたということかな?」

「いいえ。私は妃殿下に代わってお守りすることを託されたのみであり、後見に指名されたわけではありません」

 ギネヴィは「子供をお願い」としか言わなかった。そこには政治的な思惑や権力への執着などは一切なく、子の成長と幸せのみを願う純粋な母の愛だけがあった。また、メブミードにあるのはギネヴィの最期の願いに応えたいという思いのみであり、それゆえに血の盟約を結ぶことを決意したのだ。

 

 

次→【小説】流浪のマレビト(20) - 盟約2

 

====================

===================

Amazon Kindleにて電子書籍発行中☆

作品の紹介動画は「涼天ユウキ Studio EisenMond」または「作品紹介」をご覧ください。

 

雑文・エッセイ・自助

「自己愛の壺」(新刊)

その不安 一体何でしょう?

「諦める」から始める生き方

娘さんよく聞けよ、ネパール人には惚れるなよ。

性を捨てよ、我に生きよう。

痴漢被害: その時、何が起こるのか

 


小説

私小説:限りなく事実に近い虚構

 

アヴニール

■□■永流堂奇譚合冊版■□■

合冊版 永流堂奇譚 其の壱 (第一話~第三話+書き下ろし作品)

合冊版 永流堂奇譚 其の弐 (第四話~第六話+書き下ろし作品)

合冊版 永流堂奇譚 其の参 (第七話~第九話+書き下ろし作品)

永流堂奇譚 第一部 分冊版

 


ENGLISH E-BOOKS

AVENIR(Novel)

 

Start to live by resignation(Self-Help)

What the hell is that anxiety?(Self-Help)