子宮頸がん検査で異形成発覚!円錐切除手術~術後1年経過まで | Story of My Life

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素直な自分でいれる場所<3

タイトルにある通り、

人生で初めて経験した

病気・手術について

記録をしようと思います

 

実は2022年、

子宮頸がん検査から

異形成が発覚し

円錐切除術を受けました

 

何となく生きていた人生に

衝撃が走り、

健康が一番大事という

言葉の意味が分かった

出来事でした

 

30代の私の年代は

まだワクチンがなくて

同世代は特に発病している人が

多いと聞きました

 

女性なら誰もが

起こりえる病気

 

この記事にたどり着いた方の中には

同じく悩んでいる人もいるかもしれない

 

私も色んな病気経験者の

ブログやYoutubeから

支えられました

 

この記事が少しでも

参考になればと思い

記録します

 

 

下三角時系列順

 

21年12月10日:

子宮頸がん検査

 

21年12月20日:

検査結果通知「ただちに精密検査要」

 

①22年2月1日:

精密検査=組織検査

 

②22年2月15日:

組織検査結果

CIN2発覚

 

③22年4月26日:

細胞診検査

 

④22年5月17日

細胞診結果

中等度異形成/HSIL(ハイリスク)発覚

 

⑤22年5月18日:

大きい病院へ転院して初診

細胞診検査、膣洗浄

 

22年5月25日:

結果確認(電話)

中等度異形成/ハイリスク判定

HPVジェノタイプ診断

 

⑥22年6月8日:

HPVジェノタイプ判定

16型/52型/58型

手術決断

手術説明+同意書等もらう

血液検査、心電図など

 

⑦22年6月15日:

入院説明+問診

 

⑧22年7月4日~6日:

2泊3日入院

5日:円錐切除手術

 

⑨22年8月3日:

術後検診

生体検査結果判明

高度異形成発覚

切除断片まで病変が残る

HPVウイルスへの感染は残る

 

⑩22年11月16日:細胞診断

 

⑪22年12月7日:結果確認

判定NIML(病変はみられず)

HPVハイリスク陽性

英文診断書もらう

 

発覚~手術~経過観察まで

約1年で計11回通院していました

 

23年5月19日:PAP smear

23年5月24日:判定NIML

 

 

↓色々詳しく書いていこうと思います。

※長いです注意

 

21年、

そろそろ子どもも欲しいしと

マタニティ検査とかを考えていました

まずは無料で受診できる検診類からと

最初に風疹の抗体検査を受けました

結果問題なく抗体はあり、

 

続いて、

5年ぶりくらいに

子宮頸がん検査を受診

 

この時はこれっぽっちも

引っかかるなんて思ってもおらず、、

 

21年12月20日:

検査結果通知「ただちに精密検査要」

スイスでの長期休暇に出発の前日

病院から結果の通知が届きました

子宮頚部に病変がみられます

ただちに精密検査。。。

という内容でした

 

翌日には飛行機予約があったため

不安になりながら

スイス滞在したことを覚えています

 

1月中旬帰国

コロナ化で

ホテル隔離数日+自宅隔離

計2週間ほど経過

 

①22年2月1日:

精密検査=組織検査

ようやく受診することができました

 

12月に受けた

子宮頸がん検査(細胞検査)では

恐らくLSILだったかと

はっきりと覚えていませんが

↓の手書きされながら

病気・治療法の説明を受けました

 

治療法に経過観察か

手術しかないことに

とても驚いたことを覚えています

 

組織検査で異形成の度合いを

調べることに

当時は何をやっているのか

イマイチ

理解していなかったはずです

 

この時初めて知った異形成やHPV

ここでは病気について詳しく書きませんが

まさかこんな状態になるとはで

深く埋めとめることが出来ないのか

どうせ直るんでしょ、

治療できるんでしょ、

軽い病気でしょ、

などのように感じていたと思います

 

帰宅後、

ネットで情報収取するうちに

最善をとらなきゃ

癌を甘く見るな

と意識がどんどん変わっていきました

 

 

②22年2月15日:

組織検査結果

CIN2発覚

CIN2であることが判りました

 

CIN2であればまずは

経過観察をするみたいで

しばし時間を置くことになりました

 

 

③22年4月26日:

細胞診検査

 

④22年5月17日:

細胞診結果

中等度異形成/HSIL(ハイリスク)発覚

中等度異形成でかつ

ハイリスクタイプのHPVに感染していることが判りました

 

ここからは記憶があいまいです

 

中等度異形成なので

半年ほど様子を見てもいいがとのことでしたが

私の場合、

年末に移住予定があったので

手術するなら日本でと思い

大きな病院を紹介してもらいました

 

また診てもらっていた病院の先生が

組織診→細胞診

受けているにもかかわらず

細胞診の結果後、

次はどうなりますかと尋ねると

組織診になるね、と

これまでの経緯も
把握していない感じで

不安だったというのもあります

 

病院で大きい病院の予約を取ってくれ

たまたま翌日の予約が取れました

 

 

22年5月18日:

大きい病院へ転院して初診

細胞診検査、膣洗浄

 

茂木健一郎の若い版みたいな

男性のドクターで

男性だったことちょっとショックを覚えています

 

話すと気さくで

思い返すといいドクターと出会えたなと

 

 

22年5月25日:

結果確認(電話)

中等度異形成/ハイリスク判定

HPVジェノタイプ診断

 

前の病院と同じ診断でした

確か、

ハイリスク判定が出ると

HPVのジェノタイプ診断が

保険適用で無料で

できるとのことで

このタイミングで

診断に回してもらいました

 

 

⑥22年6月8日:

HPVジェノタイプ判定

16型/52型/58型

手術決断

手術説明+同意書等もらう

血液検査、心電図など

 

検査結果を詳しく聞きました

3か所の狙い撃ちで

1か所がCIN2、2か所がCIN1でした

HPVのジェノタイプは最悪なことに

癌に進行する確率の高い

かつ自然治癒しにくい

16型/52型/58型

3タイプがハマっていました

 

このまま経過観察しても

進行する可能性の方が高い

自然に治る可能性もなくはない

 

子供を産みたいので

極力浅く切除できる

術後1年は妊娠を待つ

 

移住前に逆算すると

今のタイミングで

手術してしまう事がいい

 

など、私の状況的には

手術選択に至りやすく

手術決断をしました

 

当日は時間があったので

そのまま血液検査なども受けました

 

 

⑦22年6月15日:

入院説明+問診

 

ドクターではなく

入院センターで病室選んだり

身体測定したり

入院時の持ち物や

連帯保証人、

家族同伴等の説明

等を受けました

 

 

⑧22年7月4日~6日:

2泊3日入院

5日:円錐切除手術

 

入院初日、

旦那・母親と入院手続き

病棟まで一緒に来たけど

コロナもあり、

受付以降は入れず速攻バイバイえーん

母親が炊き込みご飯を

持たせてくれました愛

 

病室

 

夕食

 

しみじみと日常生活の

有難みを嚙み締めました

 

仕事終わりの旦那が覗きに来てくれました

とっても安心

 

夜に翌日の点滴の準備をしました

 

夜の9時10時以降は絶飲食でした

出来るだけ眠れるよう

トライした記憶があります

 

 

入院2日目、手術です

 

朝から下剤を飲み、

浣腸をしました

人生で初めてでした

便器に出た汚物に

看護師さんのチェックも入り

この世でこんなことがあるのかと

驚きました(世間知らずすぎ)

 

手術室の前でたぶん少し

旦那が見えました

 

手術室は寒かったです

身体を丸めて

背中に脊椎麻酔?をしました

一瞬身体にビビッと

電気ショックが走りました泣

 

先生たちが下半身をたたいて

感覚がないことを確認

 

事前には聞かされていなかったですが

手術開始直前

少し眠くなる?麻酔しますか?

と聞かれて

迷わず二つ返事で

「はい」と答えました

 

確か、点滴で麻酔が入り

ぼや~とした記憶があります

 

眠いわけじゃないけど

意識が鈍くなって

脚を開いたり

陰部を開口されている

恥などもすべて含め意識が

遠のいていっていた気がします

 

夢を見ているのか

でも起きている感覚はあって

完全に意識が飛びきらない中で

手術室に入り

全部で1時間もしないうちに

手術終了

 

先生からは

「大丈夫、終わったよ」

くらいを伝えられ

テキパキと手術室を

出る準備が行われました

 

手術室出たところで

半身の感覚が戻るのを確認し

病室に戻りました

 

ここでも旦那の顔が少し見えた

気がしています

 

後で聞いた話では

先生が旦那には

断片を見せながら

手術の結果の説明を

してくれたらしいです

 

当然、旦那は難しい日本語

分からないので笑い泣き

断片を見て、

何で端が焦げているの

と聞いたそうでした真顔

 

母親を連れてくるべきだったと

後で後悔しましたw

 

病室に戻ってからは脚には

血栓ができないようにポンプ

数時間のポンプも

後半は不愉快でした

 

尿道カテーテルが付いていたので

尿意はありませんでした

 

ショーツの代わりに、

前日に売店で購入を指示されていた

T字帯?やガーゼ、

もう忘れてしまったけど

生理用ナプキンなどを

お股には充てられていました

 

看護師さんが

2回ほどパンツの中を

確認してガーゼを換えてくれました

 

ここからが想定外に最も辛かったことあせる

術後も飲食禁止だったので

点滴から栄養でした

 

途中から飲むのはOKになって

でも一人じゃ飲めないから

ナースコール押して

飲ませてもらうのが嫌でした

ストロー用意しておくべきでした泣

 

夜にはおなかも空いてきました

 

そして床ずれです

もちろん短期間なので

ずれまではいかないですが

身体が仰向けにしかできないので

背中や腰が痛かったです

 

隣のおばあさんの

苦しそうな息遣いや咳も

心地悪かったです

 

暗くなってからの朝まで

永遠に感じるほど

眠れないし、

寝返り打てないし

本当に苦痛でした

 

朝方?何とか

横向きになったりと

頑張って身体を動かしたり

することができるようになり

ネトフリ観たり

マンガ読んだり

何とか気をそらし

頑張りました

 

半個室へのアップグレードは

1日3000円程だったので

ベッドや同室の人の事を考えると

そうしておけばよかったと

強く思いました

 

もちろん2泊なんて

平気でしょと思っていたので

経験しないと分からなかったことですがあせる

 

なんとか夜が明け、

退院日

 

午前退院だったので

朝早めにナースさんが

尿道カテーテルを抜いてくれました

 

抜くことも痛いんじゃないかと

びくびくしていましたが

痛みはなくさっと抜けました

 

一人で立てるか確認し

立てそうだったのでトイレに

 

しみるかこれまた

びくびくしましたが

しみることはなかったです

 

自分でトイレできる喜びを

感じたほどでした

 

病室⇆トイレの往復だけで

脚の感覚は戻り

もう元気にお部屋片づけ

身支度を始めました

洗顔もできて嬉しかったです

 

術後の痛みはありませんでした

 

術後も退院日も

先生が様子を覗いてくれました

手術は可能な範囲で切り取ってます

とのことで安心しました

 

↓結果論

今はもう経過・結果共に

理解できているので

忘れてしまいましたが、

当時は手術をしても

HPVが残る意味とか

切り取っても病変が続いている

可能性があるとか

イマイチ理解しておらず

何か言われても

そのタイミングではそうかと思い

理解が追いつかないから

術後先生にもしっかり聞けず

ちょいちょい不満があったのを

覚えています

 

先生からしたら

慣れている対応で

無知の人がどこを理解していないとか

キャッチできていないんだろうなと

-----

 

戻りまして、

 

数日は湯舟につからず

シャワーしてねとのことでしたが

普段からシャワーな私は

問題なしです

 

退院後のくらし方

など書類もいくらか

もらったように思います

 

退院の付き添いを

母親に頼んでいました

 

母が来る前に

お会計を済ませておきました

 

自分で歩けるし

元気だったのですが

タクシーで自宅へ戻り

母が作り置きしてくれたので

有難かったです

 

 

⑨22年8月3日:

術後検診

生体検査結果判明

高度異形成発覚

切除断片まで病変が残る

HPVウイルスへの感染は残る

 

術後の生体検査で

一部CIN3があったことが判りました

円錐に切除した断片を

分解したものだそうです

 

私の場合は、

断片の端(画像だと12の先端)まで

病変が残っていて

ちょうどそこが病変の終わりであれば

レーザーで焼いたときに

焼けてしまっている可能性もあるが

もっと奥まで続いている可能性も

あるとのことでした

 

円錐切除では

完全に取り切れる保証がないところも

この病気の憎いところだと思いました

 

HPVへの感染も依然

確認されたままでした

 

この病気とは

一生付き合うことになる

子供を産み終えた後は

子宮摘出も考えないと

と腹をくくった時でもありました

 

先生からはHPVは

免疫で直るものではないと

言われましたが

そこからは発がん作用がある

添加物を控えたり

発酵食品を取るようにしたりと

可能な範囲で

健康を意識した食生活に

変えています

 

チートディは大いにありますがw

 

出国前に最後に

検査をしましょうとなり

この日は終わりました

 

 

⑩22年11月16日:細胞診断

 

通常の子宮頸がん検査と

同じ要領です

子宮頚部を綿棒で

擦り終わりました

 

 

⑪22年12月7日:結果確認

判定NIML(病変はみられず)

HPVハイリスク陽性

英文診断書もらう

 

日本での最後の検査

判定NIML(病変はみられず)

でした

手術をして大部分は取れたんだと

少し自信がつきました

 

HPVは依然ハイリスクです

 

スイス用に英語の診断書も書いてもらいました

 

この時点でNIMLだったので

今後は通常と同じ様に

定期検診を受けて

経過観察をしていくのみですと

 

先生とは半年強の

付き合いになりました

ここまでスムーズに進めてくれ

最後は感謝の思いをしっかり伝え

先生もスイス生活

楽しみだねと送り出してくれました


 

23年5月19日:PAP smear

23年5月24日:判定NIML

 

スイスに来て半年後・術後、約1年

判定はNIMLでした

 

心から良かったと

病気に対するプレッシャーが

初めて少し緩みました

 

次は1年後にまた定期健診受けましょう

子供もトライして大丈夫だよと

そして、

ワクチンを強く勧められました

 

日本ではもう性交経験済の人は

既に抗体があるから

あまり意味ない

病院の先生からも

打てるけどワクチンで

病気が治るわけではないと

言われていました

 

でもこちらでは

例えば感染したら

(私の場合はしているので)

症状を抑えられる

ということでした

病変へと移りにくいと

 

費用は日本と同じくらいですが

結局お金を用意したら打とうと

まだ打てていません

 

優先すべきことなので

ここは可能な範囲で

できるだけ早く

打ちたいと思っています

 

 

 

以上、

すっごく長くなりましたが

記録はこれで終わり流れ星

 

因みに、7月の退院の翌週、

すぐに乳がん検診も行きました

こちらの結果は問題なし

 

入院中インスタから

恐らく同時期に乳がんが発覚した

という同世代の女の子から

メッセージを貰ったのですが

 

病院のベッドで寝ているときから

早く乳がん検診も行かねばと

衝動にかられはじめました

 

下も上もしっかり

検査しないと!

何もしないで安心はないと

 

健康ほど

有難いものはないものですね

自分の身体は

自分と自分を愛する家族の為に

出来るだけ長く健康でいたいものです