胆大小心録 その140
百四十
闘茶(利き茶)は、宋代から続く遊戯である。
優劣は定めがたいというのは間違いない。
点茶には濃淡を変える技術があり、妙技に達する事ができる。
煎茶は初順・二順・三順の甘味や気色がすぐに移り変わる為、試味がしにくい。
点茶にも同じようなものがあり、これは茶かぶきという。
実にかぶき者の遊びである。
点式(客をもてなす作法)・貼着(茶の成分が器に残る事)は見ると嫌になる。
茶席での立ち振る舞いも常に変わっていて、
能狂言を見ているかのようにもったいらしくて滑稽だ。
剋限(時刻の定め)の愚かしさも同じ。文雅がない故の失敗である。
市中を出たところにて行う点饗の式(野点)はとても良い。
隣の喧嘩の声、大路の馬車の轟き、
小家ならば壁垣の隣の夫婦の口説きやいさかい、猫の盛る声、
ひどい場合には小水の音も臭いもするのだ。
茶は好んで飲むべきだ。
市中で礼服を着て茶席を有難がるのは、客も主も共に子供の遊びである。
古くから伝わる器は観賞するべきものだ。
大金をはたいて求めた物は、舜の使った椀といえども廃器と同じような物だ。
元々茶器として製作していない物を転用するのはみっともない事だ。
自製の器は、
蛭子の神のように据わりが悪くともそうでなくとも、捨ててしまう物のみである。
たまたま中には用いるべきものがあるだけだ。
これは人の子の愛憎の、親(作り手)の愛情や運によって愛用する物も出来る。
値がつかない器を我が家では宝としている。
前回に引き続き茶の話です。
前半は利き茶の話と点茶との違いに関する話ですが、
清風瑣言によると、煎茶は一杯毎に風味や色が変わり、判断が難しいそうです。
秋成が嫌う貼着についてですが、
貼着とは茶の風味や成分が器に残ってしまう事で、
秋成のもう一つの茶道書「茶瘕酔言」によると、
どれだけ洗っても消える事は無く、次に注ぐ茶に悪影響を及ぼす為、
器を捨ててしまうそうです。
後半に出てくる、自作の器は出来如何に関わらず捨ててしまうというのは、
こういう理由があるという事ですね。
ちなみに蛭子(ヒルコ)というのは、日本書紀などに出てくる神の事で、
足が立たない不具の子であった為に、生まれてすぐに捨てられてしまったそうです。
据わりが悪い器をそれに例えているわけです。
闘茶(利き茶)は、宋代から続く遊戯である。
優劣は定めがたいというのは間違いない。
点茶には濃淡を変える技術があり、妙技に達する事ができる。
煎茶は初順・二順・三順の甘味や気色がすぐに移り変わる為、試味がしにくい。
点茶にも同じようなものがあり、これは茶かぶきという。
実にかぶき者の遊びである。
点式(客をもてなす作法)・貼着(茶の成分が器に残る事)は見ると嫌になる。
茶席での立ち振る舞いも常に変わっていて、
能狂言を見ているかのようにもったいらしくて滑稽だ。
剋限(時刻の定め)の愚かしさも同じ。文雅がない故の失敗である。
市中を出たところにて行う点饗の式(野点)はとても良い。
隣の喧嘩の声、大路の馬車の轟き、
小家ならば壁垣の隣の夫婦の口説きやいさかい、猫の盛る声、
ひどい場合には小水の音も臭いもするのだ。
茶は好んで飲むべきだ。
市中で礼服を着て茶席を有難がるのは、客も主も共に子供の遊びである。
古くから伝わる器は観賞するべきものだ。
大金をはたいて求めた物は、舜の使った椀といえども廃器と同じような物だ。
元々茶器として製作していない物を転用するのはみっともない事だ。
自製の器は、
蛭子の神のように据わりが悪くともそうでなくとも、捨ててしまう物のみである。
たまたま中には用いるべきものがあるだけだ。
これは人の子の愛憎の、親(作り手)の愛情や運によって愛用する物も出来る。
値がつかない器を我が家では宝としている。
前回に引き続き茶の話です。
前半は利き茶の話と点茶との違いに関する話ですが、
清風瑣言によると、煎茶は一杯毎に風味や色が変わり、判断が難しいそうです。
秋成が嫌う貼着についてですが、
貼着とは茶の風味や成分が器に残ってしまう事で、
秋成のもう一つの茶道書「茶瘕酔言」によると、
どれだけ洗っても消える事は無く、次に注ぐ茶に悪影響を及ぼす為、
器を捨ててしまうそうです。
後半に出てくる、自作の器は出来如何に関わらず捨ててしまうというのは、
こういう理由があるという事ですね。
ちなみに蛭子(ヒルコ)というのは、日本書紀などに出てくる神の事で、
足が立たない不具の子であった為に、生まれてすぐに捨てられてしまったそうです。
据わりが悪い器をそれに例えているわけです。