胆大小心録 その131 | むかしのはなし

胆大小心録 その131

百三十一

猛る武士道にもまた間違いがある。

総見院(織田信長)殿の、豪傑にして残忍な性格は、
人は皆知っている為、仰々しく書くことは無いだろう。

国泰院(豊臣秀吉)殿は才に優れ、
天下をさっぱりと平定し、払い尽くした。
この君主もまた欲が大きかった。
始めに松下(加兵衛)に仕えていた時に、
こんな事ではつまらないと立ち上がったのが、大器の始まりである。
(信長の)清洲に走り、「何の役にでも召抱えて下さい」と、
信長の馬前で願い申すと、それを信長が見て、
「お前は背が小さく、顔は醜いが、気骨があり目つきは只者ではない。
まずは足軽に加われ」と、召抱え、
「名は」と問うと、「木下藤吉」と名乗ったという事だ。

中村の笠編みの子ながら、主であった松下にあやかり、
松の字の片方を削いで、木下と申したそうだ。
また大名の列に加わった際に、
柴田勝家・丹羽長秀に一時づつ乞うて、羽柴と名乗った時の志、
後に柴田を討ち滅ぼし、丹羽は家臣として仕えさせたという話について思うのは、
大器であっても初めはこんな程度であったという事だ。
蝉が龍と化して、池中の事を忘れたという事だ。

足軽であった時に、清洲の町の杉本平右衛門という質商人に、
質の物を持ち運んだ際に、
馴染みになった、おまんという娘と忍び会ったのを発見され、
「憎い家来だな。お前に娘はやらん」と、棒を持って追い打たれたが、
(藤吉郎が)逃げ帰る跡に付いて(娘が)走り出て、親の許さぬ夫婦となり、
後に政所と崇められた。名前の由来は実はこんな事なのだ。

淀君は、(秀吉が)敵方の浅井長政の娘を召したもので、恩寵が特に深かった。
淀君も容姿が優れているだけではなく、色を好む性質があり、
後には大野修理を招いて侍らせ、倫理を乱したものだったので、
「(豊臣の)天下はこのせいで失われたようなものだ」と、憎む人が多かった。
片桐且元は、淀君に深く思い焦がれて、人のいないところで、手を捕らえたが、
それを払い除けた為、怒り憎んだが、遂に恨めしく思って、
敵に回った理由は、これだとも伝えられている。

色に乱れて国を失い家を滅ぼした人は、日本でも中国でも数限りない。
天下にかかわる人はもちろん、卑しい身分の我々も、
よくよく心に戒めるべきは、この一つに尽きるだろう。


第12条にもあった豊臣秀吉の話です。
蝉が龍と化して~の部分は、
解説によると実際には蛟(みずち)等の書き間違いの可能性があるそうです。
蛟は池の中で時を待ち、やがて龍になる生き物なので、
蝉よりは信憑性が高そうです。

池中の事を忘れたというのは、
身分が低かった頃の事を忘れたという意味だそうです。