胆大小心録 その125
百二十五
新嘗祭の翌日は、豊明節会といい、
夜に宴杯を賜い、舞姫が袖を振って、夜通し宴を行った。
この時に神事に加わる堂上・堂下の者は山藍色の小忌衣を着る慣わしだ。
思うにこれは古例とは違う。祭事にはみな浄衣を着る。
翌朝に浄衣を山藍で染めて、色と模様で飾り平常服とするのだ。
祭日に山藍摺りをするのはありえない。
中務集に(このような話があり)、この山藍を、
「急いで摺りなさい」と、(祭に出る)男が言ってきた。中務が読む、
「とくとくとするとはすれどあしびきの山井の水は氷りけらしも
(急いで摺ろうとはするが、山井の水が凍ってしまって出来ないのです)」
と。
これは祭日の朝の急務である。
翁(秋成)はこれを思い、
小野主殿助重賢に乞うと、小忌衣を送って来た。
浄衣に模様があり、梅・柳・蝶・鳥、袖は片方しか無い。
山藍は透骨草というものであり、潅木の実だが、
現在では野草の中にこの種類があり、例年用いているという。
透骨草という名は地方ごとに違う。
その実をビシヤボ(ビシャボ?)というのは聞いた事がある。
野藍は鴨跖草である。ツキクサと呼ぶのは、よく摺り着くのが理由だ。
古歌では山藍を山摺り、野藍を野摺りとも詠む。
ツキクサは、今はツユクサとも呼ぶ。
染物屋では今は用いない品種だ。
前回の新嘗祭に関連したもので、藍染めに関する話です。
中務というのは平安時代の女流歌人で、三十六歌仙の一人です。
彼女の家集が中務集なのですが、
ここに出てくる歌は実際には拾遺和歌集のものだそうです。
小野主殿助というのは
主殿寮という内裏の管理などを行う機関の次官だそうです。
透骨草は中国伝来の植物で、薬草などにも用いられるそうです。
かつてはホウセンカなど様々な種類のものが透骨草と呼ばれたそうです。
鴨跖草は本文にもあるように現在はツユクサという名で呼ばれています。
昔は着き草、月草などと呼ばれていたそうです。
新嘗祭の翌日は、豊明節会といい、
夜に宴杯を賜い、舞姫が袖を振って、夜通し宴を行った。
この時に神事に加わる堂上・堂下の者は山藍色の小忌衣を着る慣わしだ。
思うにこれは古例とは違う。祭事にはみな浄衣を着る。
翌朝に浄衣を山藍で染めて、色と模様で飾り平常服とするのだ。
祭日に山藍摺りをするのはありえない。
中務集に(このような話があり)、この山藍を、
「急いで摺りなさい」と、(祭に出る)男が言ってきた。中務が読む、
「とくとくとするとはすれどあしびきの山井の水は氷りけらしも
(急いで摺ろうとはするが、山井の水が凍ってしまって出来ないのです)」
と。
これは祭日の朝の急務である。
翁(秋成)はこれを思い、
小野主殿助重賢に乞うと、小忌衣を送って来た。
浄衣に模様があり、梅・柳・蝶・鳥、袖は片方しか無い。
山藍は透骨草というものであり、潅木の実だが、
現在では野草の中にこの種類があり、例年用いているという。
透骨草という名は地方ごとに違う。
その実をビシヤボ(ビシャボ?)というのは聞いた事がある。
野藍は鴨跖草である。ツキクサと呼ぶのは、よく摺り着くのが理由だ。
古歌では山藍を山摺り、野藍を野摺りとも詠む。
ツキクサは、今はツユクサとも呼ぶ。
染物屋では今は用いない品種だ。
前回の新嘗祭に関連したもので、藍染めに関する話です。
中務というのは平安時代の女流歌人で、三十六歌仙の一人です。
彼女の家集が中務集なのですが、
ここに出てくる歌は実際には拾遺和歌集のものだそうです。
小野主殿助というのは
主殿寮という内裏の管理などを行う機関の次官だそうです。
透骨草は中国伝来の植物で、薬草などにも用いられるそうです。
かつてはホウセンカなど様々な種類のものが透骨草と呼ばれたそうです。
鴨跖草は本文にもあるように現在はツユクサという名で呼ばれています。
昔は着き草、月草などと呼ばれていたそうです。