胆大小心録 その105 | むかしのはなし

胆大小心録 その105

百五

翁(秋成)は五花堂島の出身である。

黒船忠右衛門の言葉に、「堂島一国」とあり、
また、「北の習いで」とはよく言ったものだ。
気概や任侠において他の土地に勝っている。

(名前の由来となった)五花堂とは、
昔、五花堂宗悟という人が、京よりこちらに移ってきて、
土地を買って拓き、梅・桜・牡丹・菊・水仙の五品を植えて愛でたという事だ。
五花堂とは良い名を付けたものだ。
林羅山先生、弘文院春斎(林鷲峰)先生などに文を書かれたそうだ。
朝鮮通信使の文もある。

別名を弥左衛門島という地があり、
小刀屋の弥左衛門という人が拓いた地である。
米市場になり、天下無双の繁昌と見えたが、いつの頃よりか衰えてきて、
かつての五花堂のような別荘を建てるべき閑静な土地になってしまった。
翁が若い頃は、気概のある民は、
茶の湯は貧乏神の湯立だと言って、しなかったが、
今は茶器を買う者が増えて、
湯立所ではなく銭湯か温泉のように人だらけになってしまっている。
そんな有様に富豪は、神はどこかへ去ってしまったと言ったという。


時々出てくる秋成の出身地堂島の話です。
黒船忠右衛門の名は第21条にも出てきましたが、
堂島出身の侠客をモデルにした浄瑠璃の登場人物です。
「堂島一国」、「北の習いで」という言い回しは、
男伊達で気風のいい忠右衛門を始めとした堂島の気概を表しているそうです。

五花堂の由来になった五花とは、
実際には梅・桜・牡丹・蓮・菊の五種だそうで、
例の記憶違いのようです。

林羅山は江戸時代初期の学者で、徳川家康の顧問として有名ですね。
春斎は彼の三男で、同じく幕府の要職に就いた人物です。

貧乏神の湯立という言葉が出てきますが、
湯立とは、神前に第31条にも出てきた探湯を沸かし、
祈りを奉げる事だそうです。
要するに茶の湯とは貧乏神に祈りを奉げるような行為だという事だそうです。

次第に愛好者が増えていき、
湯立所のような神聖なものではなく、
銭湯や温泉のような、
俗人が集まる雰囲気になってしまったという事でしょうか。