胆大小心録 その100 | むかしのはなし

胆大小心録 その100



天という言葉にも様々な捉え方があるのはなぜだろう。
儒教・仏教・道教、またわが国の古伝で言われるものも悉く違っている。
空を仰ぎ見るところの天だけではない。
天禄・天資・天命・天稟などと儒教では言う。
仏教の天帝(帝釈天)も人間界に下って説法を聞くという。
切支丹などの外道の法は、天師(デウス)と申して、天に崇める対象がいて、
これに願うという。

日本には、天(高天原)が皇孫の本国であり、
日(天照大神)も月(月読命)もここで生まれたという言い伝えがある。
これは他所の国では理解できない事だろう。
その為、
他所の国々はわが国の神を崇拝する事があるという意見があるが、
この理屈は論理的では無い。


ようやく100回到達です。
今回は天の概念の話です。

秋成と本居宣長がかつて論争を繰り広げた事は有名ですが、
この文の最後のくだりがその論点になります。

いわゆる「日の神論争」と呼ばれるもので、
雑にまとめると、日本の神である天照大神の力が、
世界中(つまり異教の地)に及ぶのかどうかといった言い争いです。

「天照大御神が四海万国を照す」という宣長の意見に、
秋成が反論しているわけです。