胆大小心録 その70 | むかしのはなし

胆大小心録 その70

七十

儒者の歌人というのも、みな商売気が多くて、
結局老(秋成?)のように閑寂な生活はできないのだ。
気の毒な者たちだ。

また老が隠者仕立てをして、写字などを生業としたのと同じような生活を
表面だけ真似する者がいても、
老のように世間に広く認められないように見えた。
それというのも、才があっても学があっても、
人柄が悪かったり、気が利かなかったりで、世渡りの業にはなりえぬからだ。

冥福の老とは心根が違う為、隠者めかした輩などは到底及ばぬ。


短いにもかかわらず非常に苦労しました。
例によって適当に流しました。

まず老というのが秋成を指しているのかが定かではありません。
文意からすると秋成の事でよさそうですが、正直自信がありません。

隠者仕立てというのは、
法体(僧服を着る事)をして草庵で隠者のような生活をする事だそうです。

冥福というのは、
「冥福天真を覆い、貧厄奇才を顕す」
という秋成の言葉を指しているそうですが、
その言葉自体が非常に難解です。
雑に訳すと、
恵まれた環境にあると才能が発揮されず、
苦しい環境にあれば思わぬ才能が生まれる事もある。
といった感じでしょうか。

要するに、
苦労を重ねて鍛えられた自分の根性は、
雰囲気だけ隠者のように振舞っている軽薄な者が及ぶところでは無い、
という事でしょうね。