胆大小心録 その42 | むかしのはなし

胆大小心録 その42

四十二

丹波は、昔丹後と但馬とを一つにまとめて一国であった。

日本書紀の崇神紀にあるが、
四道を平定する為に派遣された将軍の一人が、丹波に巡察に行くはずだったのだが、
武埴安が謀反を起こし、中止になった。

垂仁天皇の時代に、任那の国から帰化して、
額に角のある人(都怒我阿羅斯等)が舟に乗ってやって来た。
その着いた場所をつぬがといった。今は敦賀という所だ。

また田道間守(タヂマモリ)が常世の国のかぐの実を取りに行ったが、
垂仁天皇の崩御の後に戻り、泣き叫びながら死んでしまったと、
垂仁紀に見える。
(その花を)多遅婆奈(たちばな=橘)というのは、
田道間守が奉った花だというのが理由だ。
但馬というのも丹波というのも、多遅花の国という事だ。

この橘は今も東国にあるが、蜜柑に似ていても苦味が強くてうまいものではない。
それでも聖武天皇のお言葉に、
「橘果子之長上(橘は果物の王である)」
とあるのは、昔はうまいものがなかった為だろう。


前回に続き丹波の話です。

四道というのは北陸、東海、西道、丹波の事で、
各方面に派遣された将軍を四道将軍というそうです。
道というのは当時の行政区分であり、
永らく日本で用いられてきた五畿七道より以前の区分だそうです。

任那の国とは朝鮮半島の南端にあった国だそうで、
そこから渡ってきた都怒我阿羅斯等は「つぬがあらしと」と読みます。
彼について調べたところ、
敦賀にはツヌガくんというゆるキャラがいるそうです。
なんともストレートなネーミングですね。

常世の国というのは伝承などによく出てくる国で、
海の彼方にある理想郷を指す言葉だそうです。
垂仁天皇の命を受けて非時香菓(不老不死の果実)を探しに行ったものの、
帰還した時にはすでに天皇は崩御されていて、
悲しみのあまり死んでしまったという伝承が橘という名の由来だそうです。