胆大小心録 その34 | むかしのはなし

胆大小心録 その34

三十四

天竺(インド)では班足太子の塚の神(花陽夫人)、大唐(中国)では殷の妲己、
我が国では鳥羽上皇の女官の玉藻前と化して、
世を乱そうとするとは、さすがに畜生だ。

殺生石も今では腰掛けても、蚊に食われたほどもかゆくない。
やはり元の信田の森へ去って、うらみ葛の根でも掘って食っていればいいのだ。
蛸を見せれば嫌がることまで見透かされているのだから間抜けな化け物だ。

昔、(自分は)加島の稲荷神社の森の陰で、落穂を拾って住んでいた。
社の神官は、狐憑きを落として覚ますという評判で、
狐憑きの人が駕籠に乗せられてやってくるのを、玄関からきっと睨むと、
「もう帰ります帰ります」
と言って、(狐が)出て行ったのを見た事がある。

狐は人に憑かぬものと言う先生は、どこかで化かされても、
世間知らずの一人合点の為、不安に思わないのだろうな。


花陽夫人、妲己、玉藻前はいずれも九尾の狐が化けたとされる悪女です。
それぞれの狐が同一のものとする伝承もあるようです。

数々の悪事を働いた狐も、もはや弱い存在に過ぎないという話ですね。

落穂を拾って住んでいたというのは、貧しい生活をしていたという意味です。
現代人にはむしろわかりやすいですね。

最後の「先生」に関しては言うまでも無い事ですね。