胆大小心録 その30
三十
仏家が言う。
「神と仏は同一である」
と。
翁(秋成)は思う。
仏は聖人と同じく、善根を植えて、大樹に育て、ついに世界を覆うに至るのだ。
衆生を袖で覆う(墨染の袖で衆生を覆って仏法に導くという教え)と言う法師は、
小乗(仏教)にしかいない。
神は神であり、(仏や聖人と違って)人が修行を積んで神になるのではない。
易経に言う。
「陰陽不測謂之神」
(陰陽で測ることのできないもの、それが神というものである。)
神を人智で推測する事はできないという事は明らかである。
だからこそ人間でいう善悪邪正を当てはめて議論をしても意味が無いのだ。
自分によく仕える者はよく愛し、自分を軽んずれば罰する。
狐狸と同じようなものだ。
天竺(インド)の事は知らないが、我が国の神話は後世の人が補欠したものであり、
何も言うことはない。
日本書紀に記してある一、二箇所をうろ覚えながらも言おう。
引き続き、第13条に見える神や狐狸の性質に関する話です。
神仏同体というのは、日本古来の神と仏が同じものであるという説ですね。
本地垂迹説というものが有名で、
日本の神々は、仏教の仏たちが姿を変えたものだとする説だそうです。
その説に反対する秋成が、神と仏の性質の違いを語っています。
墨染の袖~の部分は慈円という天台宗の僧侶の歌に見えるそうで、
千載和歌集からの引用だそうです。
ちなみに小乗仏教とは大乗仏教から見た差別的な言い方で、
正確には上座部仏教と呼びます。
他の宗教でもそうですが、教義の違いによる宗派の特徴というのは
外部の人間にはなかなか理解しきれないものがありますね。
結びの部分は次回の話にかかっていると思われます。
次回は今回の話を受けての日本書紀からの引用になりますので。
仏家が言う。
「神と仏は同一である」
と。
翁(秋成)は思う。
仏は聖人と同じく、善根を植えて、大樹に育て、ついに世界を覆うに至るのだ。
衆生を袖で覆う(墨染の袖で衆生を覆って仏法に導くという教え)と言う法師は、
小乗(仏教)にしかいない。
神は神であり、(仏や聖人と違って)人が修行を積んで神になるのではない。
易経に言う。
「陰陽不測謂之神」
(陰陽で測ることのできないもの、それが神というものである。)
神を人智で推測する事はできないという事は明らかである。
だからこそ人間でいう善悪邪正を当てはめて議論をしても意味が無いのだ。
自分によく仕える者はよく愛し、自分を軽んずれば罰する。
狐狸と同じようなものだ。
天竺(インド)の事は知らないが、我が国の神話は後世の人が補欠したものであり、
何も言うことはない。
日本書紀に記してある一、二箇所をうろ覚えながらも言おう。
引き続き、第13条に見える神や狐狸の性質に関する話です。
神仏同体というのは、日本古来の神と仏が同じものであるという説ですね。
本地垂迹説というものが有名で、
日本の神々は、仏教の仏たちが姿を変えたものだとする説だそうです。
その説に反対する秋成が、神と仏の性質の違いを語っています。
墨染の袖~の部分は慈円という天台宗の僧侶の歌に見えるそうで、
千載和歌集からの引用だそうです。
ちなみに小乗仏教とは大乗仏教から見た差別的な言い方で、
正確には上座部仏教と呼びます。
他の宗教でもそうですが、教義の違いによる宗派の特徴というのは
外部の人間にはなかなか理解しきれないものがありますね。
結びの部分は次回の話にかかっていると思われます。
次回は今回の話を受けての日本書紀からの引用になりますので。